ライジングコメント欄より、
kotyakoさん
の投稿を紹介します。
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故ジャニー喜多川氏による性被害を訴えていたカウアン・オカモト氏のtiktok動画、DV疑惑のちぇぶさんのブログ記事、関連ツイートを拝見しました。カウアン氏によるDV被害者には担当弁護士が恫喝とも取れる口止めをしていた投稿も見ました。
小林よしのり先生が看破した通り、故人を加害者にした被害者ビジネスに発展しそうです。
この件についてTwitter(今はX)やライジングコメントで自分は意見を発信しませんでした。
小林先生の日本の同性愛に寛容だった文化とキリスト教圏の同性愛を罪悪と見なす文化は違うということ、
国連という権威を使った外圧で今になってジャニーズをメディアが叩くのはおかしい、慰安婦問題と同じ構図を感じるという見方は腑に落ちていたのですが、自分が昔、北公次氏の告発本を見ていたことや、ジャニーズ事務所の強い芸能界支配に嫌な印象を持っていたのが主たる原因です。
北公次氏の告白本を出した出版社は「暴露本」を裏付けなしに次々に怪しげな作りで出版していて全面的に信用できる物ではないと当時も感じていましたが、ジャニーズ事務所には深い闇があるという偏見は植え付けられました。ジャニー喜多川氏が表に姿を見せない、週刊文春に対する名誉毀損裁判に敗訴したのに大手メディアは大きく報道せず、どれだけ業界に権力を持っているのかとずっと不気味な印象を抱いていた為、今回の告発が出てきた時、ついにジャニーズ事務所も裁かれるのかと思ったのが正直な気持ちでした。報道にもあまり興味が持てず、ゴー宣ブログやTwitterでこの話題のコメント欄で色々ことの成り行きを知ったというわけです。なんと言っていいか、複雑でした。外圧頼みの危険性に疎くなっていたと考えさせられました。
しかし、冷静に考えてみれば芸能界の闇を長年メディアは許容してきて相互に利用しあってきたのは間違いなく、今までの業界のあり方の検証もなく、国連という権威が乗り出してから批判するのも変な話です。
芸能界が今まで通用させてきた、現代では不適切な慣習は変えていくべきところがあり、それはメディアも含めて自浄すべきことではないでしょうか。
今回、ジャニーズの件についてこの数日改めて色々考えてみました。
ジャニーズ事務所に対する悪印象は確かにあるけれど、今までジャニーズの生んだ芸能人のエンターテイナーとしての輝きには楽しませてもらってタレントさん達は好きだったこと、演技、歌、ダンスの独特の個性、カリスマ性はやはりすごいと思います。
夫がフォーリーブスの「ブルドック」が好きで今でも時々聴いているのですが、一緒に聞くたびに「これ、同性愛の歌だよね」と意見が一致しています。自分は同性愛には抵抗がないです。昔から漫画等で好きだったので。
「ブルドック」はジャニー喜多川氏が作詞したわけではないですが、この歌詞とメロディーはジャニーズの芸能魂を代表しているような、そんな気がします。そしてその歌うジャニーズの歌手の虜になるのは多くの女性。
日本の同性愛のあり方は世界から見ても独特の個性があり、一部の女性は2次元の世界に顕著ですが確かに男同士の恋愛に夢と創造性を掻き立てられています。自分もそうなので。
ジャニーズの一件で改めて「日本人とは」と考えることに結びつくのは分かります。
芸能界の闇の側面にメスを入れる必要もある場合もある。しかし、あくまで自浄を働かせるべきで、下手をすれば日本の生み出した個性的なエンターティメントがポリコレ外圧で壊される、そういう危機感を持って物事を慎重に見ていかなくてはいけない時代なのだと思います。