地方の「ある市」の話。
その市域は古代から人が住み、鎌倉時代以降は城下町として栄え、その地方の中心的な存在でした。
時代は進み明治期に。鉄道が通る事になり、当初は街の中心近くに駅を作る計画があったものの
「うちは伝統ある土地だから、そんな得体の知れないモノはいらない!」
と強固な反対で用地取得も進まず、駅は市街地から徒歩で30分ほどもかかる辺鄙な場所に建設。令和の現在に至るまで駅周辺は発展していません。
一方、鉄道が通る前はほとんど原野だった近隣の土地は開梱が進んで、駅周辺を中心にして県を代表する都市へと大発展。「ある市」は、すっかり地域の顔としての座を奪われてしまいました。
またまた時は進んで戦後へ。「ある市」の中心部は、主役の座は奪われたものの、高度成長の中でそれなりの賑わいを保っていました。
しかし、時代と共にモータリゼーションが進み、特に地方は「どこへ行くにもクルマ」が当たり前に。「ある市」の中心部でも、共同の駐車場の整備などが立案されたそうですが
「うちは伝統ある土地だから、そんなものを作らなくてもやって行ける!」
と強固な反対で頓挫。
もう皆さん予想がついたと思いますが、買い物客は郊外の大規模ショッピングセンターに流れてしまい、市の中心部は見事にシャッター商店街化。ただ、災害の被災地になった関係で補助金が出たのか、道路だけはピッカピカに再舗装され、その傍らに築60年を超えるような錆だらけの元商店がシャッターを閉めて並ぶという、異様な光景になってしまいました。
※画像はイメージです
「新しい事」を無制限に受け入れる事への警戒は理解できます。ただ、その口実にした「伝統」を守るために「何をしたのか」が当然問われます。
伝統を声高に言っていた者ほど、何もしないどころか、新しい事をやろうとする者の足をひっぱり続け、結果として街は衰退。おそらく将来的に、今以上に危機的な「限界」状態となるでしょう。それにより、地元民が誇りにしている「伝統の祭り」も、開催が難しくなるかもしれません。
いったい、何がしたかったのか…。
おそらく、「伝統」は触らなければそのまま存在して自分たちにハクをつけるモノであり続けると思い、自分たちが「未来からみた伝統の一部を、時代と共に創って行く」ような発想は全く無かったのでしょう。
さて、この話は実在の「ある市」をモデルに単純化したものですが、おそらくほとんど同じような話が日本中に多数存在すると思います。
そして、大抵の人は「うちは伝統ある土地だから」で変化をつぶして来た者たちを「愚か」だと思うでしょう。たぶん、皇統問題において「男系男子固執」で珍説をバラマキ続けているような人たちも大半が。
何で、わからないの?