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大須賀淳
2023.7.13 12:07その他ニュース

御誓文は、葛藤の荒海を進むための羅針盤

前回からの続き

日本史上最大の国難である敗戦の後、最初の元旦である1946年(昭和21年)1月1日。昭和天皇は、俗に「人間宣言」とも呼ばれる「新日本建設に関する詔書」を発せられました。

 

原文と現代語訳はこちらで Wikipedia:「人間宣言」

 

この詔書を人間宣言と呼ぶのはだいぶ恣意的で、実際には「心を一つにして共にこれからの日本を築いて行こう!」という、魂の底から発せられた昭和天皇のメッセージです。

 

そしてその冒頭で「公明正大であり、付け加えなければならない事柄は何もない」と、全ての根本となる精神性として示されているのが「五箇条の御誓文」です。

 

正直、私も歴史の授業では「ゴカジョウノゴセイモン」「ニンゲンセンゲン」とテスト答案のコマを埋めるキーワードとして暗記しているだけでしたが、「昭和天皇論」第5章「昭和21年元旦勅書は「人間宣言」ではない」を読んで昭和天皇の想いに感激。さらに「五箇条の御誓文」がいかに時代を超えた基本精神として力を持ったものであるかを知ることができました。

 

後代の上皇陛下、今上陛下のお言葉や行いからも、この詔書や御誓文の内容を基本精神としてお持ちなのは明白で、国民である自分も時折思い返すことにより、同時代を共にする陛下との心の結びつきを感じます。

 

五箇条の御誓文は「基本精神」であるがゆえ、ああせい、こうせいという具体的な事が細々と書いてあるわけではありません。

 

しかしそれだけに、常に変化を続ける時代状況と対峙する際に、常に生まれる葛藤の荒海を進むための羅針盤となります。自身の行動の指標になると同時に、同じ精神性であらゆる事に臨まれている陛下への尊敬の念も生まれて来ます。

 

自分の尊皇心の一番のベースは、過去から未来に渡る歴史軸の上を、御誓文に表された積極性を持って進まれる陛下や皇室の姿にあるのかもしれません。

 

それだけ重要な存在(と私は考える)である五箇条の御誓文より、「保守コンテンツ市場」においては教育勅語の方がはるかに重用されるのは何故か。

 

まだまだ長くなるので、続きます!
大須賀淳

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