7月8日、高森稽古照今塾でのハイブリッド講義が終わって、
少数で行う懇親会の会場への移動途中。
ベテランで勉強熱心な塾生の1人から面白い質問を受けた。「昭和天皇のご晩年、ご闘病中だった昭和62年10月3日からしばらく、
今上陛下(当時は浩宮〔ひろのみや〕と呼ばれていた)が
国事行為の臨時代行に当たられた時期がありました。
それまでは上皇陛下(当時は皇太子)が臨時代行だったのですが、
アメリカにお出ましになられる為に、臨時代行の更に代行が
必要になった場面だったと思います。
これは、上皇陛下が国事行為を“再委任”された形だったのですか?
それとも、昭和天皇ご本人が改めて今上陛下に委任されたのでしょうか?
どのような実態だったのでしょうか?」と。
面白い着眼だ。少しややこしいが、天皇の国事行為を委任されること(憲法第4条第2項)
自体も「国事行為」だ。ならば、国事行為の“全般的”な委任を受けられて
上皇陛下が臨時代行に当たられていた当時、ご自身に
「故障(この場合はアメリカへのご訪問)」が生じたのであれば、
“国事行為を別の皇族に再委任する”という国事行為も代行できるのか、
どうか。国事行為の委任も国事行為に“含まれる”ので、
既に全般的な委任を受けておられる以上、一応問題はなさそうに思える。
しかし、もしそれが認められるならば、天皇ご本人から離れて
次々に別の皇族に委任されることも、理論上は可能になる。
だが、そのような再委任、再々委任…のような形で行われる
国事行為の場合、その権威、正統性が稀薄化する懸念はないのか。
或いは、「天皇」という地位それ自体の存在意義にも関わりかねない。
そういう問題意識なのだろう。しかし、「国事の臨時代行に関する法律」を見ると、
国事行為の委任を受けた皇族(先の場合は上皇陛下)に
「故障が生じたとき」は、(内閣の助言と承認により)天皇が
「委任を解除する」というルールになっている(第3条)。先の質問のケースも、『昭和天皇実録』第18巻に
次のような経緯が記されている。「(昭和62年10月2日)翌3日より、皇太子(上皇陛下)が
同妃(上皇后陛下)を伴い米国を訪問につき…この日の閣議を経て、
皇太子への国事行為の委任を解除し、当分の間、徳仁(なるひと)
親王(天皇陛下)に委任して臨時に代行させることとされる。
午後2時35分、(皇居・宮殿)薔薇(ばら)の間において、
国事行為の委任を解除する旨の(昭和天皇の)勅書を
侍従長徳川義寛より皇太子に伝達させられる」「(同3日)午前9時、国事行為の臨時代行を委任する旨の勅書を、
侍従長徳川義寛より徳仁親王に伝達させられる。
なお徳仁親王は、一昨日より第2回国民文化祭開会式に臨席等のため
熊本県に滞在中につき、勅書の伝達は熊本市のニュースカイホテル
において行われる」以下、一々引用しないが、9日に皇居・宮殿「薔薇の間」において
「徳仁親王」に国事行為の委任を解除する勅書が伝達され、
10日には帰国された「皇太子」に再び国事行為の臨時代行を
委任する勅書が伝達されていた。このように、国事行為の臨時代行に当たられていた皇族に
やむを得ない支障が生じた時は、その委任を解除して、
改めて天皇ご本人から次の皇族に委任されるという手続きが、
丁寧に取られる。天皇の国事行為の国家的な重要性に照らして、適切妥当な手順だろう。
それにしても、このようないささか立ち入った質問が、
居酒屋に向かっている最中にさりげなく出てくるあたり、
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