今週の配信はタイトルこそ「みんなの憲法審査会」として、憲法審査会のそもそもの成り立ちや、憲法改正発議の際の憲法審査会の役割などファクトベースのお話を冒頭ちょろっと。
また、憲法審査会は改憲のための合議体と(わざと?)勘違いされてる方も多いので、橘幸信衆院法制局長の予算委員会での答弁も引用し、憲法審査会は「改憲」のための会ではなく、「護憲」(現在の憲法と現実との齟齬の是正等)のための議論もすることが予定された合議体であることもお伝えしました。
憲法審査会を「開かない」ことを鬼の首をとったように話す議員、憲法審査会は「改憲のため」と言い切る議員、自分の支持者=上顧客向けに勝手にそういうのは構わないけど、審査会の本来の在り方を歪めるのはやめてほしいものです。
信山社「憲法研究」に寄せられている論稿をベースに何人かの議員や憲法学者、そして大手新聞記者や自称ジャーナリストにも言及させていただきましたが、申し訳ないけどファクトがほとんどない言説ばかりでレベル低すぎると思います。
みんなさ、事実とか憲法の方向いてないんだよ。自分の言葉に喝采をくれる人、「そうだー」って言ってくれる人の方見すぎ。
一方で、実際に豊かな改憲論議ができているかというとまだまだ程遠いですね。なので「改憲が現実的」などと煽るムキがいますが、「6つ」の理由からおよそあり得ないというお話もしました。
それにしても、そもそも憲法96条に改正の規定があるにもかかわらず、改正のための手続法(国民投票法)が60年存在しない(国民投票がそもそもできない)状態を放置してきたこととか、その他、合同審査会規程や国民広報協議会規程も未整備とかさ、ちょっとどうなってんですかね、この国は。
そして何より!大事なのは我々日本国民の「憲法観」ですよ。
東京大学の境家史郎先生の研究に沿って、日本国民の憲法観の4つの「やわらかさ」をデータをもとにご紹介しました。
驚きなのが、「違憲立法を許容する」やわらかさ、と憲法の理解がないというやわらかさね。
安保法制も、時間と共に「維持すべき」が増えている。そのうち大半がそうなるでしょう。自衛隊や私学助成などなど全てがそうであったように。
「憲法改正しなくてもよい」という回答の人々の主は「解釈でどうにでもなる」と考えているからなんです、つまり憲法の理念や条文への愛着からではないということです。
「国民の権利と決められているのはどれですか?」という質問で表現の自由をそれと答えた割合が49%(1973年)から30%(2018年)に減ってるというのも衝撃でした。
そもそも理解していない対象に対する愛着ってわきませんよね、という話ですね。
憲法が定着どころか、目の前の生活至上主義になった日本国民にとって、私生活の邪魔にならないからどうでもよくなっているわけです。こういう状態に国民を置こうとしてきたエリートにも問題がある。表現の自由ランキングが下がったっていうけど、それって政府による圧力とか以前に国民の権利意識からなんじゃないんですか?っていうね。
この「憲法死文化スパイラル」(by境家先生)についても、多くの人に知っていただきたいです。
台風一過の週末に、是非ご覧ください!
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