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高森明勅
2023.6.3 08:00皇室

昭和の2大行幸啓から平成の3大行幸啓、令和の4大行幸啓へ

“4大行幸啓(ぎょうこうけい)”という言葉を
知っている人は少なくないだろう。

具体的には、毎年行われている以下の4種類の催しに、
天皇・皇后両陛下がお出ましになることを指す。

①全国植樹祭(4月~6月頃)
②国民体育大会(9月~11月頃、来年=令和6年から名称が
「国民スポーツ大会」に変更)
③全国豊かな海づくり大会(9月~11月頃)
④国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭(7月~11月頃)

天皇陛下が外出されることを「行幸」、皇后や皇太子などの外出を
「行啓」と申し上げる(但し、現在の秋篠宮殿下は「皇嗣」で
いらっしゃるので、皇太子の場合と区別して、他の皇族と同じく
「お成り」)。

天皇・皇后両陛下がお揃いでのお出ましの場合は、
“行幸”と“行啓”を合わせて「行幸啓」と申し上げる。
ところで、平成時代には“3大行幸”だった。

④は、天皇陛下のご即位と共に、陛下ご自身のご見識とご判断によって、
「天皇のご公務」へと“格上げ”されたからだ。
国民文化祭が始まったのは昭和61年。当時、浩宮(ひろのみや)殿下と
呼ばれていた天皇陛下が毎年、お成りになる行事とされていた。

それが平成時代に入って、「皇太子」として行啓される行事へと
“格上げ”される。

更に令和になると、先述の通り最も重い「天皇のご公務」にまで“格上げ”
された
(全国障害者芸術・文化祭は遅れて平成13年に始まり、
同29年から
国民文化祭と一体的に開催)。

このように平成時代に④は天皇のご公務には含まれず、“3大行幸啓”だった。
しかし、昭和時代にはもっと少なく“2大行幸啓”だった。
それは、③が平成になって、上皇陛下ご自身のご見識とご判断によって
「天皇のご公務」に“格上げ”されたからだ。

この行事が開始されたのは昭和56年。当時は「皇太子」だった
上皇陛下が毎年、上皇后陛下とご一緒にお出ましになっていた。
それが平成になると、「天皇のご公務」へと“格上げ”されて、
“3大行幸啓”という形になった。

②は、昭和21年に国民の体力向上を目的に創設されている。
その前身は、大正13年から昭和18年にかけて行われていた
明治神宮国民体育大会とされている(名称は明治神宮競技大会→明治神宮
体育大会→
明治神宮国民体育大会など)。
昭和天皇は昭和22年に石川県で開催された第2回大会の開会式に
ご臨席になり、
これが国民体育大会への最初のお出ましとなった。

①の起こりについては、昭和25年に山梨県で昭和天皇・香淳皇后の
ご臨席を仰いで、
その第1回が開催されている。
しかしその前の昭和23年4月4日に、東京都下の青梅市で開催された
植樹式に
昭和天皇・香淳皇后のお出ましを戴いたのが、その先駆け
とされている。

更にその前年(昭和22年)、昭和天皇は、戦争で傷付き疲れた
各地の国民を慰め、励まされる為の“全国巡幸(じゅんこう=天皇が各地を
巡られること)”の一環として、富山県を訪れられた折に、現地で「造林御奨励
の思(おぼし)召し」から、ご自身で杉苗3株をお手植えされた事実がある
(『昭和天皇実録』昭和22年11月1日条)。

わが国の国土の約7割は森林。

だが、当時は戦争中の乱伐などによって国内の森林がすっかり荒廃しており、
木材の不足だけでなく、自然災害や水不足にも直結する危機を抱えていた。
緑の森を甦(よみがえ)らせることは喫緊の国家的な課題であり、
昭和天皇は富山県の他でも巡幸の途次、各地で植樹をされていた。

全国植樹祭の開始は、森林の恢復(かいふく)を願われる昭和天皇
ご自身のお気持ちとも、しっかり重なる(ちなみに、今年の植樹祭は6月4日、
岩手県の高田松原津波復興祈念公園で開催される)。

以上のように振り返ると、慣例化したご公務と見られがちな、
毎年開催される恒例行事へのお出ましであっても、その背後に代々の
天皇の強いお気持ち、主体性・自発性を窺うことができる。

しかも、令和の“4大行幸啓”の中身を丁寧に見ると、国民生活の基礎と
言うべき
健康・体力への関心を喚起する体育・スポーツ奨励行事=
②国民体育大会に対して、
その健康・体力の基礎の上に花開くべき
文化・芸術奨励行事=④国民文化祭及び
全国障害者芸術・文化祭が
位置付けられる一方、国土の多くの部分を占める
森林の大切さを
呼び掛ける行事=①全国植樹祭に対して、国土を取り巻く海洋の

大切さを呼び掛ける行事=③全国豊かな海づくり大会が対応する
(しかも天皇陛下が
「山や森から河川や湖を経て海へ至る自然環境」
〔令和4年の全国豊かな海づくり大会での
おことば〕と指摘されている
ように、森林と海洋は繋がっている!)―という具合に、
見事な
バランスが成立していることに気付く。

追記

①5月28日、「皇室の春夏秋冬」という連載を持っている『カレント』6月号が届く。
今回は6月9日のご結婚記念日を控え、天皇・皇后両陛下ご結婚30年を取り上げた。

②5月29日、私の講演録が掲載された『先見経済』6月号が届く。
先日、清話会の依頼で靖国神社正式参拝の後、靖国会館で講演を行った記録だ。

③5月30日、時間の隙間を見つけて日本橋高島屋S.C.本館8階で開催中の
「御即位5年・御成婚30年記念 特別展 新しい時代とともに 天皇皇后両陛下の歩み」(毎日新聞主催)へ(このタイトルは明らかに天皇陛下の
ご著書『テムズ“とともに”』
を踏まえたものだろう)。
平日の昼間なのに、会場には意外と人が多い。
しかし、皆さんたしなみのある方々ばかりで、落ち着いた雰囲気の中、
気持ち良く拝見できた。

天皇陛下が学習院初等科時代に使っておられた、上皇陛下から
“お下がり”の古びたランドセルが印象に残った。

学習院高等科3年生の時の書き初めの「慶雲興」
(慶雲〔けいうん=めでたい事のある前兆の雲〕興〔おこ〕る、
『文選〔もんぜん〕』『晋書〔しんじょ〕』に出典がある)という
伸びやかな文字に、陛下の人間的なスケールを感じた。

写真集も購入(しかし、先のランドセルも書も、本物から受けた
迫力に劣るのはやむを得ない)。

同日夜、天皇・皇后両陛下、敬宮殿下がお揃いで同特別展に
お出ましとのニュース。

ご婚約記者会見の時に皇后陛下がお召しになっていたワンピースが
展示されている場所で、ご案内役の人が(恐らく感激の余り)
「(天皇陛下の)プロポーズの時のお言葉を思い出します」と
申し上げたところ、
敬宮殿下が天皇陛下にそのお言葉の“再現”を
求められ、
陛下が困っておられたとのこと。微笑ましい。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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