引き続き公論サポーター・メーリスから
よっしーさんの感想ご紹介です!
先日の道場、お疲れ様でした!
当日、ニコニコ生放送で視聴しました。
「保守とリベラル(憲法と平等)」と聴くと、ちょっと難しい感じがしてしまいそうですが、ゲスト登壇された切通さん・宇野さんの軽妙なトーク効果で、身近に引き付けて考えられる議論になっていたように思います。
視聴して感じたのは、
「憲法より世間ルールを重視する
日本人特有の世間って、良くも悪くも厄介だなぁ〜〜〜」
という事でした。
ぶっちゃけ、公論イベントに参加するまで「憲法は権力を縛るもの」という基本中の基本も知らなかったです(^◇^;)
憲法が日本に存在していることは知っていても、それが私達の生活に具体的にどのように関わっていて、どんな効果・影響があるのか?を知らずに生きていました。
憲法があっても、私達は無意識に身近な世間ルールやムラの掟や職場のルールに縛られて生きている。
この目に見えない不文律のルールは、地域や職場で長い年月をかけて作られてきた暗黙の了解のようなもので、強制しなくても皆んなが自ら守ろうとしているし、
ある意味、保守的な態度だと言えるかもしれません。
でも、この世間ルールに外れたことをやると、周りから「非常識な人」と烙印を押されたり、避けられたりする事があって、(コロナ禍がそうでした)
一度「非常識な人」と烙印押されたら、その世間や地域から白い目で見られて過ごしていかなくてはならないし、自分が生きづらくなってしまう。
だから、自分の個を殺してでも必死で周りに合わせて「(世間から見た)非常識の烙印」を押されないようにしながら自分の居場所を確保する…
このような窮屈な経験は、日本で暮らしていれば誰でも感じたことがあると思います。
でも、でも!
その世間ルールが明らかに間違っていたら?
それでも周りに合わせるの?
私はそんなの嫌だ!
コロナはインフル以下なのはデータでも明らかだし、コロナ対策は過剰で日本が間違った道を進んでいるのがわかっているのに、
世間の目を気にして間違った世間ルールを正道に戻そうとしないなんて、私の良心がどうしても許さない。周りから白い目で見られたって構わない!
…そう思ってコロナ禍の数年を過ごしてきました。
初めは、私の言動を(世間から見て)非常識と思っていた人たちも、「貴方の判断は間違っていなかったね」と今では言う人もいるし、いつの間にか私と同じ意見に変わってた人もいます。
コロナのリアルをデータから正しく分析して間違った世間ルールに警鐘を鳴らしていたコロナ論は正しかった。
これは、ディープステートとかの怪しげな陰謀論とは全く違います。
保守とは、ただ単に世間ルールを守ることではなく、常に何が正しいか?を自分の頭で考えながら、時には間違った世間ルールに抗い、バランスとりながら進んでいく険しい道なのでしょうね。
そして、単純に保守の反対がリベラルなのではなく、実はリベラルも保守を内包しているのだな、と議論を聴いていて感じました。
今後は門下生も動画などで発信していくとの事、ワクワクします(≧∀≦)
皇統問題も、男系に固執するあまり常識を無くして政治家や言論人も皇統断絶を容認する有様です。
政治家や言論人や知識人が常識を無くして判断を間違える中、狂った世の中を糾す方法として庶民の常識を強力に世の中に発信する…
これは、すごい展開になりそうです!
常識の海に沈め!
愛子さまを皇太子に!!!
明らかに違憲という事態が起きたら、
憲法学者が「違憲」と判断せずに、
どうしたら「合憲」と解釈できるかの
屁理屈を必死に考えるという、非常識な国。
明らかにこのままでは皇統が続かないのに、
尊皇を自称する者がそれを認めずに、
どうしたらそれでもいいと思えるかの
屁理屈を必死に考えるという、非常識の極みの国。
非常識の日本は常識の海に沈没させよう!
日本の浮上はここから、我々からです!!