昨日は京都でも東京でもマスクを外している人が
ほとんどいなかった。
日本人はもう個人で考えて決定する力を失っている。
「コロナの恐怖」と「世間の目の恐怖」、二重の恐怖で
「個」が消滅してしまった。
日本人は全体主義には勝てない。
世界中の人々が自分の判断でノーマスクになっている
のを見ても、日本人はマスクを外せない。
グローバリズムなんて言葉が流行っていたが、
日本人は我が道を行くで、マスク民族と化している。
これはナショナリズム(国民主義)ではない。
世間主義なのだ!
「世界の目より、世間の目!」
WBCの観客席を見ても、他国の試合ではノーマスクだが、
日本の試合の観客はマスクを外せない。
自分の周囲の目を気にして、マスクを外せない。
日本人は非常に特殊な国民であることが判明した。
わしのようにマスクをしていない大人の顔を見て
奇異な表情をする子供を見ると、あの子供たちの
深層心理にコロナ禍が何を残したのかが心配になる。
コロナ禍に突入した時に、わしのようにマスクを
拒否する大人がせめて3分の1はいなければいけな
かった。
3分の1の大人がマスクを拒否する姿勢を貫いて
いれば、世間が形成されず、「個人の判断」という
ものがどんなものなのかを学ぶ若者も子供もいた
だろう。
だが「個人の判断」を見たことがない3年間を
送った人々は、もう「個人の判断」をする者を
悪人としか見ていない。
もともとマスクの着脱は「法律」で禁止されていた
ことでもないのに、それでも大人が「ルール化」して
しまったものだ。
「法」と「個人」はセットである。
法治国家になるには「個人」が必要である。
日本ではほとんど絶望的なことではあるが。