昨日のゴー宣道場は大盛況、大成功!
…ではありましたが、質疑応答で少々もめました。
最初に質問に立った、「どっちもどっち論者として、罵倒を浴びに来ました」とヘンなことを言っていた人が、北方領土に関して
「一度日本は主権を放棄していますよ。確か1951年の吉田茂の答弁で、西村担当官だったと思いますが…」
と発言しましたので、これについて説明します。
(この部分、発言者がマイクを持っておらず、生放送に音声が入っていなかったので、動画版では字幕を入れます)
1951年9月9日に調印されたサンフランシスコ講和条約により、日本は千島列島を放棄しましたが、北方領土四島は千島列島に含まれない、日本固有の領土であるというのが日本の公式見解です。
ただしこれには一時期ブレがありました。
講和条約署名の前日、当時の吉田茂首相は、
「日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議をさしはさまなかった。ただ得撫(ウルップ)以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地であった」と演説。
千島列島は「北千島」と「南千島」に分かれ、択捉、国後の二島は「南千島」との認識を示しました。
そして同年10月19日、外務省の西村熊雄条約局長が衆院の特別委員会で
「(サンフランシスコ講和)条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えている」
と答弁しました。つまり、「南千島」である択捉、国後両島も、サンフランシスコ講和条約で放棄したと公式に認めたことになり、これが、ロシア側が日本は択捉、国後の二島を放棄していると主張する根拠となっています。
佐藤優やら鈴木宗男やらが、「とりあえず二島返還」とか言っていたのも、この事情からでしょう。
その後日本は東西冷戦が激化する中、米国が1956年の日ソ共同宣言署名の前に、「二島返還」で妥結しないよう強く求めてきたこともあり、政府は「北方四島は日本固有の領土」と主張を変えています。
安倍元首相が鈴木宗男らにだまされて二島で手を打とうとする危機もありましたが、幸運にもそれも失敗して、今も政府・外務省の見解は今も「北方四島は日本固有の領土」のままです。
そもそも、北方領土は日ソ中立条約違反の侵略によって不法占拠されているというのが大前提なのに、それをほったらかして、一時の政府見解のブレを根拠にロシアの見解を正当化するって、どういうつもりなんですかね?