味噌汁ウンコ竹田(注)が、『正論』(10月号)で
「神々は女系継承」というのは本当か?
と題して、持論を展開している。
(注)竹田恒泰は「女性・女系天皇の誕生を
味噌汁にウンコが入ったようなもの」と発言している。
よって下品だけど、その品性下劣さがよくわかるので
ここでは竹田を「味噌汁ウンコ竹田」と表記する。
『正論』の記事は、「天皇の祖先は天照大御神だから、
最初は女系継承だったのではないか」
という女系天皇容認論者の意見に対して、
反論を試みた内容である。
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)で三女五男が誕生した
(このうちのひとりは神武天皇につながるオシホミミ)。
このエピソードについて、竹田はさまざまな学説(先行研究)を
紹介しつつ、この三女五男は「アマテラスとスサノオ、
二人が生成した神」だと結論づけている。
問題はここから。
アマテラスとスサノオは、そもそもイザナキが
生成したのだから、イザナキ(男)も皇祖神である。
そしてオシホミミの誕生にはスサノオ(男)も関わっている。
したがって、
イザナキ→スサノオ→オシホミミ→ニニギ→ホオリ→ウガヤフキアエズ
という系図ができあがる。
つまり皇祖神をイザナキにして、スサノオを加えたのだ。
で、こう締めている。
これはすなわち、神統と皇統は、例外なく
男系によって繋がっていることを意味する。
男系の血統のためなら、アマテラスも完全スルー!!!
「これまでの学説からすると、
アマテラスの弟であるスサノオだって
オシホミミの生成に関わっているんだい!」
「だからホラ、イザナキを祖とすれば男系なんだい!」
と言っているのである。
あのね。
そもそも神話である。
男か女かの前に、神々の話である。
川で顔を洗い、目をすすいだら神が誕生する。
刀を折り、かみ砕いて息を吐き出したら神が誕生する。
そういう神話の中に男系だの女系だのという
血統の話を持ち込もうとすること自体、
かなり無理がある。
原理主義者はこれをやる。
それよりむしろ、アマテラスが太陽の神として
高天原を治めたという神話そのものが、
統治に男も女もないことを示していないか?
オシホミミがアマテラスとスサノオ「どちらの子か論争」だって、
「どちらの子でもある」という結論なら、
女系を否定したことにはならない。
もっと言えば、そもそも刀や勾玉、井戸の水、息吹が
生成のモトになっているのだから、
男系や女系かで語る次元の話ではないことを
示していないか?
要するに、全くもってこじつけなのだ。
これを味噌汁ウンコ竹田は冒頭で
「長大な学術論文にした」と言い、
「よりわかりやすく書き直して寄稿した」と言い、
「難解な部分も多少残っていると思うが、
アカデミックな議論に少々お付き合いを」
などと言っている。
アカデミックかどうかは、読者の知性が判断する。
私の読んだところでは、
先行研究に自身の見解(唾液の話)を付け加えただけで、
あとはこじつけである。珍説である。
神話へのリスペクトも感じられない。
繰り返すが、そもそも神話を血統で語ろうとすること自体、
無理があるのだ。
原理主義者は、そのことにすら気づかない。
アマテラスを完全スルーするところなど、
古代の女性天皇を「単なる中継ぎ」としか見ない心性と
通じる。
よほど神話や歴史に女は登場してほしくないのだろう。
女性・女系天皇の誕生を「ウンコの入った味噌汁」と
いうだけのことはある。
女なんか無視してよし!
それよりも
男の血!
男の血ッ!!
男の血〜〜〜!!!
結局、言いたいことはこれなのだ。
これをカルトと言わずして、何と言う。
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