頭の悪い人には
読めないだろうと思いますが、
論理的に追いつめるのも必要!
ということでこの投稿を
ご紹介します!!
カジです
休暇中でのんびりしていたら何だか論破祭りが盛り上がっているので、私も参戦します。一応筆を抑えたつもりです。
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この議論の中で倉田真由美、山口真由の女性二人が女性天皇に反対していることが際立って不可解に思えました。
かつてフェミニズムという勢力が持て囃された時代がありましたが、お二人の言説にはその化石のような連中と同列視されたくないという、狭い了見が根底にあるように思われました。すなわち「伝統を無視して女性の権利を主張するのはかっこ悪い」という価値観故の、男系主張に思えました。そして女性の男系主義者はある意味貴重な存在でしょうから、穿って見れば二人は「コビダンケー」とでも言うべきポジションでチヤホヤされる内に、ご自身の言葉の客観性を見失っているように思われました。
コロナ騒動でのお二人は、医学会やマスコミの煽動ありきのポジショントークに果敢に疑義を挟む論客だったはずです。それだけに男系ムラでコビダンケーとなっている二人のお姿はとても残念でした。
お二人は漫画家、そして法学者として男尊女卑の日本で活躍される中で、女性であることで理不尽な不利益を被ったり、小馬鹿にされて悔しい思いをされたりした経験があるのではないかと推察しますし、そんな逆境の中でのし上がった経歴には率直に敬意を抱きます。しかしその理不尽であったろう男女差別を経てなお、なぜ国家の根幹たる天皇制度の性差別という不合理に思いが至らないのかが不思議です。もしかしたら国家の根幹規定に性差別があるからこそ、現代日本では今なお、男女差別が消えないのかもしれないのです。
歴史上の因習を墨守するのが伝統なのではなく、歴史に見出した知見を元に時代を作ってきたのが日本の伝統だと思います。そうでなければ明治維新も戦後の復興もあり得なかったでしょう。それともチョンマゲハラキリの伝統を、今でも頑なに守っていれば良かったのでしょうか?
平安時代に一家三后を成し遂げ、「この世をば…」と句を読んだ藤原道長の栄華は、息子頼道の娘に男子が生まれなかったことで呆気なく終わりました。ここから得られることは、どんなに盤石に見えても、生物学的条件に継続性は担保されないという当たり前の教訓です。しかもこれは側室制度があった時代の話なのです。
生物学的条件に依存した存在だからこそ私たちは天皇家に畏敬の念を抱きますし、世界の中でも稀な存在である君主を戴くことを誇りに思います。そして皇室にあられましては、何が何でもとこしえに続いていただきたいという煩悶の念が募ります。
いわゆる男系派には、この「皇室は何が何でも続いていただきたい」という煩悶がないように感じられます。そういう意味ではいかにも愛国的な言説を述べながら、実態は国家を滅ぼそうとする、捩れの欺瞞を感じ取るのです。そして私はそこにお二人が非難した、「国民の安全と健康」を唱えながら実態は国家の混乱を企てている、医学会やマスコミの詐術と同じ手口を重ねてしまうのです。
今日は8月15日、ということで、
メディアでは学校秀才のいい子ちゃんが
「アジア・太平洋戦争の記憶を
風化させず、教訓にしよう」とか
言いながら、やっぱり日本が悪かった、
戦争はいけない、二度と起こしちゃいけないと、
学校で習った優等生発言を繰り返していて
心底ウンザリしました。
ウクライナ戦争が勃発し、
台湾有事も懸念される現在では、
「戦争」に対する考え方も根本から
考え直さなければならない段階に
来ているはずなのですが、そんなことは
教科書には載っていなかったから、
全く発想が浮かばないのです。
皇統問題でも同じ。
学校秀才が、しかも竹田の本なんかを
「教科書」にしちゃったら、もう最悪で、
「コビダンケー」になって腐れていく
以外にないのだということを、
改めて感じさせられています。
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