生放送で話した、2012年自民党改憲草案に関連した
「個人として」「人として」の件ですが、
私の話し方がすごくあやふやだったので、
興味を持った人のために補足を書いておきます。
2012年自民党改憲草案では(生きた草案ではありませんが)、
現憲法の「全て国民は、個人として尊重される」という部分が、
「人として尊重される」に書き換えられたことが話題になりました。
自民党の議員が「個人」という言葉を削除したがったのは、
アメリカが憲法を押し付けた際に、
「日本は個人が大切にされていない」
という点を問題視したことに嫌悪感を持っていること、
そして、自民党議員が、利己主義と個人主義の違いがわかっておらず、
むやみに「個人主義はダメだ」と言っていることが理由でした。
ただ、過去のゴー宣憲法道場では、山元一慶應大教授から、
「個人」か「人」かは、憲法では非常に重要な論点だという
お話がありました。
例えば、日本国憲法と同時期に作られたドイツ基本法では
「人間」、つまり「人間の尊厳」という言葉が使われており、
また、ヨーロッパを中心として、「人間の尊厳」のほうが
より重要な価値があると考えられていて、
「個人」は、日本国憲法以外にはあまり見られない、と。
これは驚く話でした。
ヨーロッパで言われる「人間の尊厳」は、
個人を大切にするという面と、
個人は社会で守らなければならないという面があり、
ここに複雑性があるという話もありました。
フランスでは、小人症の人をボウリングのように投げる
ゲームがあり、投げられている本人は、それで収入を得て
いるのだから、大切な糧だと言っていました。
しかし、ある自治体が、人間を道具にして生計をたてること
そのものが、人間の尊厳を冒す行為で、非常に問題だとして
法律で禁止し、議論になりました。
「人間の尊厳」という言葉で、個人の自由や主体性が制限
されてしまうわけです。
同じ問題が売春などにも起きるのだろうと思います。
また、ヘイトスピーチに対して厳しいのも、「人間の尊厳」と
照らして判断されるからだというお話もありました。
以上の内容は、過去の「ゴー宣〈憲法〉道場」シリーズを
収録した『属国の9条』に書かれています。
いま読み直しても、本当にすごい本ですし、
ゴー宣道場はすごい議論をしてきたと思います。