ライジング・コメント欄からの
ご意見紹介です!
ゴー宣「【どっちもどっち論】の臆病保守」を読みました。
小林先生が『鳥兜氏としておこう』と書きながら、すぐに『編集長』とか『藤井氏』とか『鳥兜・藤井氏』と書いて分かってしまう所が、めちゃくちゃ面白かったです。
コロナ禍では、『死者が増えない日本でもコロナは怖いに決まっている』と言っていた側が価値相対主義で、『死者の増えない日本においては新型コロナは恐くない』と言った人の、その真理に誠実な態度こそを尊敬いたしました。
何故、コロナ禍では出来て、ウクライナ戦争や皇統問題では出来ないのか。結局、コロナ禍は自分にとっても死活問題だけど、皇統問題やウクライナ戦争は他人事と思っているからですよね。
本家・宮沢屋にいたっては、コロナ禍を終わらせることすら実はどうでも良かったみたいですし。
『ウクライナにも悪い所はある』と言う方が、実は単純で簡単だと思います。立場を決めなくていいんだから。
皇統問題でも立場を決めないことを選んでいましたよね、鳥兜は。
小林先生が書かれていたように、一周回って、状況を俯瞰してよく見てから、立場を決める。これこそが言論人・知識人の役割だと思います。発言する者の務めだと思う。
『ロシアの肩を持つわけではない』『オウムの味方をするわけではない』
この発言はモーニングショーのペテン師羽鳥の
『もちろん経済も大事ですが』
と一緒です。そう思っていないからこそ、敢えて言い訳として先に言っておかなければならなくなるんです。
自分の友人に、とても頭が良くて優しくて誰にでも分け隔てなく接する、勤め先でもエリートのヤツがいたんですが、コロナ禍以降、少し疎遠になっています。
そいつに若い時、
『お前のすぐ良い悪いと言う所が好きじゃない。俺は好きか嫌いかしか言わないし、それでしか判断しない。』
みたいに言われたことを未だに覚えています。
共産党支持者って良い人が多いけど価値相対主義ですよね。
「パール真論」の時、国際法をめぐって、小林先生と西部邁氏とで見解が分かれたことを思い出しました。
ただ本来は、西部邁氏も、正しいとは何かを分かっていらっしゃった方なのだと思います。
(ただしさん)
知識人やらマスコミ人やらの
逃げの言い訳文句はもう
みんな見透かしていて、
通用しないってことを
分からせてやる必要があるんじゃ
ないでしょうか?