先日、憲法違反の養子縁組プランを何とかして
成り立たせようと執着する方の、対象者へ“制限を全て撤廃した
”養子縁組という提案に接した。
これには、さすがに驚き呆れた。皇室の品格、尊厳、聖域性への配慮や、
畏れ謹むという感覚が全く欠けているのかと疑いたくなる。戦後における民族派最大の思想家と呼ばれた葦津珍彦氏は、
昭和29年の時点で、僅か7年前に皇籍離脱された
元皇族の方々でさえ、皇室と国民の区別を厳格にして、
皇室の品格、尊厳、聖域性を守る為に、その復籍を否定しておられた。
以下の通り。「占領下に皇族の籍を離れられた元皇族の復籍ということが
一応問題として考へられるであらう。
この間の事情については、論ずべき問題も少なくないが、
その事情如何(いかん)に拘(かかわ)らず、一たび皇族の地位を
去られし限り、これが皇族への復籍を認めないのは、
わが皇室の古くからの法である。明治40年の皇室典範増補“第6条
皇族の臣籍に入りたる者は、皇族に復するを得ず”とあるは、
単なる明治40年当時の考慮によりて立法せられたるものではなく、
古来の皇室の不文法を成文化されたものである。
この法に異例がない訳ではないが、賜姓の後に皇族に復せられた
事例は極めて少ない(植木直一郎“皇室の制度礼典”参照)。この不文の法は君臣の分義を厳かに守るために、
極めて重要な意義を有するものであつて、元皇族の復籍と
云ふことは決して望むべきではない」
(神社新報社政教研究室編『天皇・神道・憲法』)と。これは当然、現在の皇室典範にも踏襲されている(第15条)。
その立法理由について、典範制定当時に法制局
(現在の内閣法制局の前身)が次のように説明している。「臣籍に降下したもの及びその子孫は、再び皇族となり、
又は新たに皇族の身分を取得することがない原則を
明らかにしたものである。蓋〔けだ〕し、
皇位継承資格の純粋性(君臣の別)を保つためである」
(「皇室典範案に関する想定問答」)皇族とのご婚姻という生命的・人倫的結合を介さない限り、
元皇族が再び皇族となり、その子孫が新しく皇族になることすら、
明確に否定されている。
皇室と国民の区別をゆるがせにすべきでない以上、
当たり前の原則だ。にも拘らず、養子縁組という法的手続きだけで国民が
“誰でも”皇族になれる制度を思い付くこと自体、
(たとえ頭の体操としてであっても)私の想像を越えていた。そもそも、皇族同士の養子縁組さえも皇室典範では否定している(第9条)。
これも明治典範を踏襲しているが、その意図について伊藤博文名義の
『皇室典範義解(ぎげ)』では「宗系紊乱(ぶんらん、ビンランは慣用読み)
の門を塞(ふさ)ぐなり」、つまり万が一にも実系(自然血縁)と
養系(法定血縁)の混乱が生じることを、予め防止する為という。
皇室の品格、尊厳、聖域性への行き届いた配慮と言うべきだろう。上述の経緯を振り返ると、誰でも皇族になれる
養子縁組という方策が、およそ最低限の良識すら欠いた、
乱暴極まりない破壊的なプランであることが、
“誰でも”理解できるはずだ。
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