天皇陛下はお誕生日に際してのご会見で、
以前にも取り上げられている、花園天皇の
「誡太子書(かいたいしのしょ)」に言及しておられた。「皇室の歴史を紐(ひも)解くと、皇位が連綿と継承される中では、
古代の壬申の乱や中世の南北朝の内乱など皇位継承の行方が
課題となった様々な出来事がありました。
そのような中で思い出されるのは、上皇陛下が以前に述べておられた、
天皇は、伝統的に、国民と苦楽を共にするという精神的な
立場に立っておられた、というお言葉です。…例えば、鎌倉時代の花園天皇の皇太子量仁(かずひと)親王に
宛てて書き残された、いわゆる『誡太子書』においては、
まず徳を積むことの大切さを説かれ、そのためには道義や礼儀も含めた
意味での学問をしなければならないと説いておられます」と。自分で恥ずかしく思わないのか
同書は、書名くらいは一部の人に知られていても、
実際にその中身まで読んだ人は、ほとんどいないのではあるまいか。
天皇陛下が淡々と触れておられるので、陛下ご自身がこの書を
取り上げられることの重大さを、見逃す人も少なくないかも知れない。しかし、同書は実に厳しい内容で貫かれている。
例えば、冒頭近くの一節を紹介すると、以下の通り。
「皇太子は、宮中で優しく育てられたから、人民の生活の大変さを知らない。
綺麗な着物を着ても、その着物を作る苦労を知らない。
美味しいご馳走に飽いても、農民の耕作の困難さを知らない。
いまだに国への功績が少しもない。
人民に対する僅かな貢献もない。
にもかかわらず、ただ先祖のおかげで将来、そのまま天皇の地位に
上ろうとしている。
優れた人格的価値(徳)を身に付けず、誇るに足る功績もないのに、
人々の上に君臨することは、自分で恥ずかしく思わないのか…」
(意訳。原文は辻善之助『修訂 皇室と日本精神』、
東京大学史料編纂所『古文書時代鑑』など参照)―非常に深い感銘
初めから終わりまで、こうした厳しい叱責のような言葉が並んでいる。
しかもその背後には、皇室の将来への深い危機感がみなぎっている
(実際にこの後、時代は南北朝時代へと突入した)。陛下が初めてこの書について言及されたのは、
まだ皇太子になられる前の昭和57年3月15日だった
(22歳なられて間もない頃、大学ご卒業に際してのご会見)。「(歴代天皇の事績について学ぶ中で印象に残った一例として)
誡太子書(太子を誡〔いまし〕むる書)と呼ばれているんですが、
この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、その徳を積むためには
学問をしなければならないということを説いておられるわけです。
その言葉にも非常に深い感銘を覚えます」「徳」を積むことの重要性
又、皇太子になられてからは、平成22年のお誕生日に際してのご会見
(2月19日)でも以下のように触れておられた
(この年のお誕生日で50歳になられた)。「歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、
当時の皇太子―後の光厳天皇にあてて書き残した書(誡太子書)に、
まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと
説いておられることに感銘を受けたことを思い出します。
そして、花園天皇の言われる『学問』とは、単に博学になる
ということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や
礼儀をも含めての意味で使われた言葉です。
私も、50歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています」天皇陛下が、皇位の継承に連なる当事者に最も厳しく
自省を迫る同書を、長年変わることなく、
取り分け大切にされていることが分かる。この事実から、陛下がいかなるご覚悟で
日々努めておられるかを、如実に拝察できるだろう。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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