憲法学者の木村草太氏が次のような発言をされている(『AERA』11月1日号)。
「一般的な見解では、天皇・皇族は憲法上の権利の保障対象ではありません。
長谷部恭男先生は『身分制の飛び地』と表現します。
憲法自身が、平等権をはじめとした近代的な人権保障規定を
適用しない例外的な身分制を定めている」「皇族の婚姻には、憲法第24条は適用されません。
だから、男性皇族の婚姻に皇室会議の議を要求した皇室典範は違憲ではない」「現状、女性皇族には婚姻の自由がありますが、
それは憲法上の権利ではなく、皇室典範がそう定めているからです。
女性に皇位継承資格を認めれば、婚姻の自由が制約されるかもしれませんが、
それは憲法24条違反ではないでしょう」と。《第1章が“優先的”に適用される》
私自身も、暫く「天皇・皇族は国民ではない。
だから、天皇・皇族には憲法第1章が適用され、国民には第3章が適用される」
という説明の仕方をして来た。
分かり易さに配慮した説明だった。しかし、少し乱暴な整理だと反省して、
近頃は「天皇・皇族には第1章が“優先的”に適用される」という言い方に改めた。
木村氏の発言にも、同様の乱暴さを感じる。「現状」における「女性皇族」に認められる「婚姻の自由」について、
「憲法上の権利ではなく、皇室典範にそう定めているから」と言う。
だが、典範に積極的に「婚姻の自由」を認める規定は無い。
天皇と男性皇族の婚姻は、「皇室会議の議を要する」
(典範第10条)と定めているだけだ。皇室会議が介在しない女性皇族の婚姻が、どのような在り方になるか。
それは、憲法第24条の規定によると理解するのが自然だろう。
すなわち、「両性の合意のみに基いて成立」する、と。《第3章の適用も全面的には排除されない》
憲法自体が第1章で「世襲」の「象徴」天皇制度を設けている。
従って、天皇・皇族にその規定が“優先的”に適用されるのは、
やむを得ない。
しかし、その制度と絶対的に対立し、矛盾しないにも拘らず、
第3章の適用が全面的に排除されると短絡する考え方には、
無理がある(例えば第18条には「何人も、いかなる奴隷的拘束も
受けない。…」との規定がある!)。憲法学上の「飛び地」説には一定の説得力があるものの、
それを過剰に実体視すると、天皇・皇族の人権や人格の尊厳を
全て否定する結果になりかねない。
それは、天皇・皇室を巡る制度の維持そのものを、至難にするだろう。男性皇族の「婚姻」が皇室会議によって制約されるのは、
皇位継承資格を与えられているからだ。
皇位継承資格を持つ方の婚姻については、当然、
「世襲」の「象徴」天皇制度に関わる“縛り”が伴う
(天皇ご本人については改めて言うまでもない)。従って、女性皇族にも皇位継承資格を認めた場合は、
「制約されるかもしれません」ではなく、男性皇族と同じ制約を設けないと、
制度としての整合性が保てない(勿論、違憲であるはずがない)。《「天皇制をやめた方がいい」?》
木村氏はこんな発言もされている。
「(天皇・皇族に多くの制約があるのは)必然的な帰結です。
『お気の毒』と考えるなら、天皇制をやめた方がいい」と。まさに「飛び地」説の危険性が露呈した短絡的思考だろう。
オール・オア・ナッシングの二者択一。天皇・皇族に人権は認めない。
それが「お気の毒」なら「天皇制をやめた方がいい」。
…という単純極まる思考パターンだ。しかし、先の「第1章の優先的適用」「第3章の適用も全面的には排除されない」
という視点を取り入れると、見方がかなり変わって来るはずだ。
これまで漫然と維持されて来た「多くの制約」のうち、
第1章の制度を維持する為に必要不可欠な制約は、どれか。
時代や社会状況の変化によっても、当然、慎重かつ
柔軟な見直しが求められるはずだ。
だから焦点になるのは、その時々において適切妥当な制約と、
そうでないものの“切り分け”だ。それなのに、不合理な制約を(国民が)「お気の毒」と思うなら
「天皇制をやめた方がいい」というのは、思考の飛躍も甚だしい。なお、保守系からは以下のような放言も。
「(皇位継承資格を持たない)女性皇族の結婚について、
男性皇族と同様に、皇室会議の議決を経る規定を適用するよう、
法改正をすべきです。
このような法改正をすると、女性皇族の権利侵害に
なってしまうかもしれませんが、誤解を恐れずに言うなら
権利を侵害してでも、皇室の尊厳は守られなければなりません」
(宇山卓栄氏『WiLL』12月号)こんな非人道的な言説が罷り通るようだと、
「天皇制をやめた方がいい」という意見も、
一般の人々に説得力を持ち始めるかも知れない。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/blog
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