『AERA』11/1月号の巻頭特集は
「眞子さま結婚 私たちはなぜこの結婚にザワつくのか」
と題して、識者の分析を載せている。
以下はその分析の要約。
・自分の中で眠っていた「結婚は家と家のバランスを考慮すべし」
という価値観が、自分たちの「顔」である皇室の結婚で
呼び覚まされた(コラムニスト・三田地真実)
・皇室という理想であるべき家の娘が理想ではない家に嫁ぐのが
許せないという保守層の存在(精神科医・香山リカ)
・自分を抑えながら生きるコロナ禍で、「私はこんなに
我慢しているのに」という葛藤を、そのまま「許せない」と
ぶつけている。よく使われるワードが「税金」(香山リカ)
・不安の時代には人は不変なものを求める。不変なものを
求める人にとって、小室さんはうさん臭く見えるのでは(大学教授・森暢平)
・若い世代の特徴は「分相応をわきまえる」。わきまえていない
ように見える小室さんは秩序を乱す存在なのかも(大学教授・土井隆義)
この後、識者が眞子さまのご結婚に対して肯定的なコメント、
さらに天皇や皇族の公と私をどう考えるかについての問題提起。
「眞子内親王殿下の結婚相手が云々、は小さな問題なんです。
30年、50年先を見据え、『天皇や皇族の公と私』
『皇室と国民との関係』を、国も私たちも、大きな問題として
考えていくべきです」(皇室ジャーナリスト・山下晋司)
週刊新潮や女性セブンに比べたら、実にマトモな記事。
ただ、私は、表面化したバッシングの分析のみならず、
メディアのイジメとしか思えない煽りや、
それを真に受けて脊髄反射的に反応する大衆についても、
もっと突っ込んで考察する必要があるように思う。
現在の「皇室と国民」について考えることが
同時代性を持つ横軸なのだとしたら、
なぜここまで国民が劣化したのかを考えることは、
これまでの私たちの歩みそのものを顧みる縦軸だ。
そうでなければ、尊皇心を振りかざしたエセ保守や
醜い罵詈雑言を浴びせて喜ぶ心性の持ち主の出現を
本当には理解できないだろう。
眞子さまバッシングは、日本人の劣化が表面化した
一例に過ぎない。今後、どんなことにでも
同じような現象は起こり得るのではないか。
ちなみに特集記事では、このあと、ゲストでお越しくださった
矢部万紀子さんの記事、そして彼女がまとめた河西秀哉×木村草太対談。
矢部さんの「眞子さまのメガネ」のくだりは、
彼女らしい細やかな視点だと思った。
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