東京パラリンピックが多くの人々に感動を与えて閉幕した。
東京オリンピックの開会式に対してボロクソに批判していた
私の身近な人物が、パラリンピックの閉会式については絶讚していた。
私自身は改めて、上皇陛下の障害者スポーツへの
長年に亘るご支援を、想起させられた。《全国障害者スポーツ大会の起点》
昭和の東京オリンピック・パラリンピックの際(昭和39年)、
上皇陛下(当時は皇太子)はパラリンピックの名誉総裁をお務めになった。
これがきっかけとなって、障害者へのご関心を深められる。
大会終了後、関係者を集めて次のようにおっしゃられた。「日本の選手が病院や施設にいる人が多かったのに対して、
外国の選手は大部分が社会人であることを知り、
外国のリハビリテーションが行き届いていると思いました」と。つまり、パラリンピックに参加している諸外国では、
障害者も多くは社会の一員として活躍している。
これに対して、日本の場合は病院や施設に入り、
社会から隔絶されているケースが多く、
それは決して望ましいことではないという、
当時の実情への厳しい認識を示されたのだった。その上で、「このような大会を、国内でも毎年行ってもらいたい」
との希望を述べられた。
それが事態改善に向けた1つの突破口になる、と考えられたのだろう。
このご提案によって、翌年から「全国身体障害者スポーツ大会」が
開催される運びとなった(現在は「全国障害者スポーツ大会」)。
以後、陛下は皇太子時代を通して毎年、大会にお出ましになり、
選手を応援されている(上皇陛下が即位され時代が平成に移ってからは、
天皇陛下が「皇太子」として上皇陛下のお気持ちを受け継ぎ、
そのお務めに当たられた)。《上皇陛下の障害者福祉へのご貢献》
皇太子という重いお立場の方がご観戦になると、
当然ながら大会への注目が高まる。
メディアの扱いも違ってくる。
それを十分にご自覚の上で、障害者スポーツの支援に力を尽くされた。大会にお出ましの際は、必ず地元の障害者施設を訪問されている。
これも一般の関心が障害者に向き、人々の理解がより深まることを
願われてのことだ。上皇陛下は、目立たないご努力を積み重ねられて、
日本の障害者を巡る環境を改善するのに、大きな貢献をして来られた。
その事実について、上皇陛下の御即位20年奉祝式典(平成20年12月19日)で
壇上に立った日本身体障害者団体連合会の小川榮一会長は、
以下のように語っていた。「なかなか障害者に対する社会の理解が進まず、
胸の痛む思いをしてきましたが、そんな私どもを一貫して
支えて下さったのが、天皇皇后両陛下でございました。
正確に申し上げれば、両陛下のお蔭で障害者福祉が
大きく前進したと言って過言ではございません」「スポーツを通じ、社会参加の助長と、
障害や障害者に対する社会の理解が深まったことが、
今日の障害者福祉向上の原動力にもなりました」「ハンディがあっても、国民の1人として尊重して下さり、
障害者とその家族、関係者に勇気と自信を与えて下さっている皇室こそ、
日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っています」と。《天皇として最後の記者会見でも言及された》
上皇陛下は「天皇」として最後のお誕生日(平成30年)に際しての記者会見でも、
次のように言及しておられた。「障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、
私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。
…障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむ
スポーツとなることを私どもは願ってきました。
パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、
皆が楽しんでいることを感慨深く思います」と。上皇陛下は、この度の東京パラリンピックでの
選手達の奮闘ぶりををご覧になって、どのような感慨を抱かれただろうか。【高森明勅公式サイト】
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