カウラ事件について描かれたドキュメンタリー映画
「カウラは忘れない」を観に行った。
カウラ事件とは、オーストラリアのカウラという町に
あった捕虜収容所で、1944年8月5日に起きた
日本人の集団脱走事件のこと。
あまり調べたことがなかったので、映画で
脱走した人々の証言を聞いて、なるほど勉強になった。
まだ戦争中のこと。
日本が負けるなどとは思っていない。
日本に帰れるかどうかもわからない。
そもそも、「虜囚の辱め」を受けた自分が
おめおめと日本に帰れるか・・・。
それが、下士官と兵の収容所を分けるという
通達があったことをきっかけに、
一気に集団脱走の決行にまで突き進む。
彼らに今までくすぶっていた、捕虜となったことへの
恥の意識が爆発したのだ。
彼らは「死ぬため」に脱走した。
オーストラリア人にとっては全く不可解だろう。
生への執着を持つ人もいた。
けれど、「それでも帝国軍人か!」という
声の大きさに、多くの人が決起に賛成した。
その場の雰囲気、空気。
山本七平のいう「空気」の支配が
優ったがゆえの事件だ。
後半は、捕虜とハンセン病という二重の苦しみを
背負って生きた方にスポットをあて、
戦後が映し出される。
非常に知的で、誠実な人柄の元陸軍兵長。
撮影する側も、撮影される元兵長も、
悲劇を前面に出していないのがよかった。
彼を通して、戦後生まれの女子高生たちが
カウラ事件について考える。
「空気」に押し流される事実を的確に捉えている
子もいた。
カウラ事件とは、まさしく日本人らしいと言えば、らしい事件だ。
押しつけがましくなく、映画を観た後は
爽快感さえ覚えるほどの充実度。
ただ残念だったのは、パンフレットに書かれていた
満田康弘監督の言葉。
当時の事件で浮き彫りになった問題点を
現在に照らし合わせていたのだけど・・・
「東京オリンピックに向けて一度決めた方針を
変えられない政府や東京都、JOC。人命を軽視
しているとしか思えない新型コロナ対策の甘さ」
ううむ。
結局、この人もオリンピックと戦争突入を
同一視しているのか、とガッカリ。
こうしてオリンピック開催をおおっぴらに批判できること
自体が、戦争や、空気の支配する全体主義とは
大きく異なるところなのだけどなあ。
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