よしりん先生、パスありがとうございます☆
「民主主義」といっても、一体いかなる民主主義を指すのかというのはありますが、最小公倍数的にみても、アフガニスタン(及びそれ以外の地域での)アメリカによるいわゆる”民主化”なるものの失敗は、およそリベラル・デモクラシーが抱える人間性を捨象した偽善的でダブルスタンダードな個人や市民の設定に行き過ぎたグローバリゼーションが掛け算されて招いたものと考えています。
デモクラシーはの要素であるデモス(民衆・大衆)の野蛮性を封じ込めようとしすぎたことの反動でもあると考えています、大衆というよりも、我々は生身の庶民です、すべてをゼロから設計主義的かつ合理的に進めていくことなど不可能です。
文化や民族性といった文脈や関係性と断絶された「リベラルな」個人と市民が織りなすデモクラシーが素晴らしいのだと押し付けた結果、まったくカスタマイズできずに崩壊する。特にその傾向はイスラム社会ではより強まるはずです。彼らはいわゆる「西洋近代」とは違う価値観で共同体を形成していますから。
最近、「強いられた民主化の逆襲」とも呼ばれていますが、東欧や南米諸国、アフリカ諸国等でも権威主義体制にオセロがひっくり返っているのは、このような20世紀型リベラルデモクラシーの欺瞞の逆噴射だと思います。”ライトな独裁”が世界的に支持されていることとも相似形です。
今回、アフガニスタンと中国がつながるというのも、その部分(リベラルデモクラシーVS権威主義)の象徴でもあり、興味深いです。
ということで、是非民主主義について議論したいです!アフガンとアメリカの事例も当然ですが、日本独自の民主主義についても、最後は戻ってきたいです。メリトクラシー等についても。
そして、きました水曜日、8月は「民主主義に疲れたあなたへ」シリーズ。
今週は、私たちが教室で教わってきたミンシュシュギや、それをとりまく諸制度が実はタテマエと実態がズレすぎてきていて、それ自体が「民主主義」の疲弊を生んでるよね、というのをおさらいしつつ、じゃあどういう制度設計を行うべきなのか、その際、自分の「好み」の社会像にあわせるための視点はどこにおくべきか、ざっくばらんに議論したいと思います!
もちろん、「民主主義疲れ症候群」を通奏低音に。
「代表」「選挙」「議院内閣制」「二院制」「権力分立」…
選挙・代議制民主主義に疲れてるからこそ、政党や候補者がどういう主張をしていれば、現在の日本社会の問題点を理解し直そうとしているのかがわかるような、近くある選挙を眺めるポイントも提供いたします。
ま、そんな政党ないだろうけどね☆
こんな自明かつ国会議員が本気出せば変えられる制度的・運用的欠陥を政党や候補者として指摘できないのであれば、勉強不足か、日本社会のことなど考えていないか、どの両方かです!
一緒に議論しましょう。
動画はコチラをクリックです
↓