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笹幸恵
2021.8.5 19:41日々の出来事

『野火』を引き合いに出す「天声人語」のちぐはくさ

今日の朝日新聞「天声人語」では、
コロナ中等症の人が入院できないことを、
大岡正平『野火』を引き合いに出して
批判している。

朝日新聞(8/5)天声人語
(※有料会員記事です)

戦争文学の傑作、大岡昇平の『野火』の主人公は
野戦病院に送られる。血だらけの傷兵が床にごろごろ
している前で、彼は軍医に怒鳴りつけられる。
肺病なんかで病院に来たことを理由に。
それでも何とか入院するものの3日で追い出される
▼隊に戻ると、病人を抱える余裕はないと
分隊長から言われる。
「病院へ帰れ。入れてくんなかったら、
幾日でも坐り込むんだよ」。
病を得ても入れない野戦病院。
そんな場面がいま頭にちらついて仕方ない。
政府が打ち出した「入院制限」のためだ


何度読み返しても、ピンとこない。
違和感を覚える主な理由は次のとおり。

そもそも、
◆野戦病院に入れば助かるという前提がある。
これは平時の感覚の域を出ない。
私なら、野戦病院から追い返されたと聞けば、
思わず「良かったね」と言ってしまいそうになる。
なぜなら、負け戦の日本軍の野戦病院は、
人も薬も食糧もなく、ろくな治療も受けられず、
患者はただ寝ている(死を待つ)だけだからだ。
戦時中なら、せいぜい「陸軍病院」に入ってホッとする、
というのが実際のところではないか。
「陸軍病院」なら、よほど後方にあり、
赤十字の看護婦さんもいて、それなりの治療を
受けられる(ただし沖縄戦は除く)。
戦記本などでも、「お前は野戦病院に入らなかったから
助かったんだぞ」などという上官の言葉が紹介されていたりする。
要するに、戦友と共にいれば手厚い看護を受けられるけれど、
野戦病院なら放置されるから死ぬ、ということだ。
もっとも『野火』では、本隊からも見捨てられているから、
戦友愛も何もない、本当に救いのない戦場だったわけだけど。

◆野戦病院と現在の日本の病院を同一視している。
「肺病なんかで来たことを理由に」という一文には、
軍医に対する批判的なニュアンスが感じられる。
だけど当時の状況からしたら、肺病患者を診る余裕も
野戦病院にはなかったということだ。
人道的見地から批判することはいくらでもできるけど、
そんなもの当時の戦場では腹も膨れない。
「ごくつぶしが来た」という程度でしかなかったのだ。
主人公が入院を許されたのは食糧を持っていたからだし、
追い出されたのは手持ちの食糧が尽きたからだ。
この状況説明をすっ飛ばしていいのか?
現在の日本とは大きく異なる、重要なポイントだと思うけど。


次にこれ。
◆『野火』の本質と主張が全く異なる
せっかく『野火』を引き合いに出しているのに
少しもピンとこないのは、『野火』の本質と
記事の主張がかみ合っていないからだ。
記事の主張は「中等症でもコロナは怖いことになるぞ、
入院させろ」だ。
しかし『野火』では、主人公が病院からも本隊からも
見捨てられたところからジャングルを彷徨する物語が始まり、
これでもかというくらい「救いのなさ」が描かれる。
その想像を絶する凄惨な戦場の中で、人間とは何か、
神とは何か、自己とは何かが問われる。
だからこそ「戦争文学の傑作」なのだ。
なのに「天声人語」では、序章に過ぎない野戦病院の
話だけを切り取って、現在の政府の対応に結び付けている。
これじゃあ『野火』を出す意味がないし、曲解といわれても
仕方がないし、
「戦争文学の傑作」への冒涜ですらあるんじゃないか?


「天声人語」は、事態は深刻だとして、
緊急事態宣言の締め付けが緩いことも批判しているけど、
現実を見なさい。
呼吸困難や肺炎を伴うリスクは他の病気でも
言えることだし、私たちはウイルスと共存するしかない。
病床が逼迫というけれど、5類に落とせば
どこでも診られる。

肺炎なんかで来るなという野戦病院を批判的に書くくせに、
その野戦病院に入れないことも批判する。
ついでにコロナ恐怖に取りつかれ、
政府が何もかも面倒みてくれないことも
戦争に結び付けて批判する。
二重にも三重にも間違っている。
結局のところ、文句ばかり言って権利意識ばかり強い
戦後日本人の典型ではないか。

戦争(野戦病院)の実態に対する認識も甘い。
戦争文学に対する認識も浅い。
現実を直視し、科学的に分析する視点もない。
今朝の「天声人語」はそれを露呈させたに過ぎない。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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