ワクチンの話を、知り合いに片っ端から
話している。
私の周りの人は、結構素直に聞いてくれる。
感触からして、とりあえず話を合わせているとか、
納得したフリをしているというのでもないようだ。
皆、新コロがたいしたことないと「肌感覚」で
感じているからだと思う。
何しろ、ほとんどの人は、これだけメディアで
コロナ騒ぎをしていても、周りで亡くなった人がいない
(少なくとも私の周りではゼロ)。
重症化した人を知っている、という友人はいたが、
かかった人のその後を聞けば「今は回復している」という。
もうこれだけで、この大騒ぎがおかしいと思う。
これが常識の力だろう。
問題はその後。
医療関係に詳しい友人(ライター)は、
「mRNAワクチン」より「ベクターワクチン」のほうが
怖いと言っていた。
アストラゼネカ製のワクチンがそれだ。
mRNAワクチンだったら打つという。
理由を聞くと、ともかくワクチン打たないと医療関係の仕事が
入らないからだと言う。
うううーーーむ。
フリーライターにとって、日々の仕事はそのまま
生活に直結する。
「そんな仕事なんか断れ」とも言えない(顔には出てたと思うけど)。
ワクチンパスポートなんぞが発行される前から、
もうワクチンの接種圧力はそこかしこで始まっている。
その友人は、ときどき私の戦争話を聞いてくれるので、
これは戦時中の「空気」と一緒だね、と言っていた。
わかっているのだ。
だけど背に腹は代えられない。
これ以上は何も言えなかった。
一人ひとりの選択だ。
ただ、このとき一緒に話をしていたもう一人の友人(カメラマン)
には、まだ10代の娘がいる。
彼女には、くれぐれも娘には打たせないように、と
念押ししておいた。
地道に、まわりの人に理解してもらうことから始めるしかない。
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