江戸時代の国学者・本居宣長は、長年、尊重されて来た
『日本書紀』に見られる「漢意(からごころ)」への
傾きを指摘して、それまで軽視されがちだった『古事記』に
「大御国(おおみくに=日本)の古意(いにしえごころ)」(やまとごころ)
が託されている点を、高く評価した。勿論、その一方で「誠に書紀は、事を記さるること広く、
はた其(その)年月日まで詳(つまびらか)にて、不足(あかぬ)
ことなき史(ふみ)なれば、此(この)記(=古事記)の
及ばぬこと多きは、云(いう)もさらなり(言うまでもない)」
(『古事記伝』巻之一「古記典等総論」)と、
『日本書紀』の優れた点にも言及している。
学者らしい公平な態度だ。男女「王」と「皇子」「皇女」
ここでは、両書における「やまとごころ」「からごころ」の具体例として、
近年、指摘されている、天皇のお子様方の“称号”の表記が、
『古事記』と『日本書紀』では異なっている事実を、紹介する。欽明天皇以降の系譜記事に顕著に見られる事実だ。
『古事記』の場合は、天皇の男女のお子様などについて、
どちらも称号に「王(みこ=御子)」を用い、区別していない。
これに対し、『日本書紀』では「皇子(みこ)」「皇女(ひめみこ)」として、
明確に男女を書き分けている。しかし、その『日本書紀』も原史料には「王」とあったことが分かる。
例えば、「大友“王”」(天智天皇10年10月庚辰条)という表記が、
そのまま残っているからだ(同じ人物が別の箇所では「大友“皇子”」
に書き直されている)。シナのような男尊女卑の男系社会ではなく、
双系の伝統を持つわが国では、元々、男女を区別しないで、
同じ「王」だった(シナでは女子が「王」と称されることはない)。ところが、シナ文明の影響が強まる中で、「皇子」「皇女」と
書き分けられるようになった(それが恐らく飛鳥浄御原令〔689年〕からで、
大宝律令〔701年〕からは「親王」「内親王」になる。
田中卓氏・虎尾達哉氏らの研究による)。
少し実例を挙げておくと、『古事記』に「笠縫王」「大宅王」「葛城王」
(いずれも欽明天皇のお子様)とあるのが、『日本書紀』では
「笠縫皇女」「大宅皇女」「葛城皇子」となっていた。日本は本来、双系社会だった
『古事記』は、序文(正確には上表文だろう)にある通り、
その原型の成立は天武天皇の時代だったと考えられる
(西條勉氏『古事記の文字法』・矢嶋泉『古事記の歴史意識』など)。
飛鳥浄御原令より“前”だ。それ故に、双系の伝統を残した男女「王」の表記を普通に遣ったのだろう。
「男系(父系)」「女系(母系)」「双系」という概念については、
以下の説明が分かりやすい。「生まれた子どもが父方の一族に属するのが父系社会、母方に
属するのが母系社会である。
厳密な父系社会では、父系でつながる一族は同じ姓を称し、
一族の内部での婚姻は禁じられる(族外婚/同姓不婚)。
…中国は典型的な父系社会だった。父方の親族だけが社会的に重んじられ、
地位の継承は男子の血統を通じてのみ行われるのである(男系継承)。
それに対して双系的親族結合を基本とする社会では、
父方と母方のどちらに属するかは流動的で、父方母方の血統が子の
社会的・政治的地位を決める上で重要な要素となる。人類学的な知見によると、こうした社会は東南アジアから
環太平洋一帯に広がりをみせていて、日本列島もそこにつらなる。
古代の倭/日本の社会はもともと双系社会だったのである」
(義江明子氏『女帝の古代王権史』)双系日本にシナ男系主義の影響
私は以前、6世紀後半の人物で物部氏の族長だった物部守屋が、
「物部弓削」(『日本書紀』敏達天皇元年5月是月条ほか)「弓削」
(『播磨国風土記』)などの姓を称している例を、示したことがある。“弓削”は守屋の母方の姓だった(『先代旧事本紀』天孫本紀)。
蘇我入鹿の異名「林太郎」(『上宮聖徳法王帝説』)の“林”も、
母方の姓による可能性が指摘されている(東野治之氏)。
どちらも双系社会でなければあり得ない事例だ。双系の伝統こそ「やまとごころ」。
そこに「からごころ」=シナに由来する男系主義の影響が
次第に拡大して行った。
その推移を、『古事記』の男女「王」から『日本書紀』の
「皇子」「皇女」への変化から、読み取ることができる。しかし『日本書紀』でも、生まれた男女を記す時に、
男女を区別しないで出生順に並べている。
『日本書紀』にも「やまとごころ」はしっかり保たれていたと言える。シナ男系主義の影響を最も直接的に受けた皇室でも、
皇族同士のご結婚がタブー視されることは遂になかった。
それどころか、大宝・養老律令でも明治の皇室典範でも、
それを法規範として掲げていた
(律令は女性皇族、旧典範は男女皇族のご結婚において。
但し後者は華族も可)。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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