精神分析学者の岸田秀氏。
女性への差別は、男性の普遍的な「女性恐怖」に由来する、
というユニークな仮説を示されている。「異性の親に育てられる男の子が直面する最初の状況は、
まったく無知無能な自分が圧倒的に強い全知全能の(と幼児には思える)
女に全面的に依存し支配されているという屈辱的状況である。
これが男の人生の出発点なのである。男なら誰でも、抑圧しているにせよしていないにせよ、
心の奥底に深刻な女性恐怖をもっていると考えられるが、
その起源はここにある。
そして、ここが重要な点であるが、このような状況のなかで
男の子は不能であった。これはどういうことかというと、男の心のなかで不能状態と
女の支配とは結びついており、したがって、男は不能を克服し
性能力を獲得するためには、女の支配を打破し、逆に女を
支配しなければならないということである。男が女を支配したがるのは、威張り散らしていい気分になりたいとか、
富を独占したいとか、資産を確実にわが子に伝えたいとかのような
単純な理由からではなく、何よりもまず、女を支配しないと
不能状態から脱出できないという、深刻なというか、哀れというか、
とにかく追いつめられた事情があると考えられる。実際、地位とか身分とか才能とか経済力とか何らかの点で
自分より上の女、敬意を払わざるを得ない女、支配的な強い女などに
対しては不能になる男がいるが、そういう女は彼にかつての
全知全能の母親と、その支配下にあって不能であった幼児の自分を
思い起こさせ、女性恐怖を甦らせ、彼は、獲得していた性能力を失って
不能状態に逆戻りするのである」(『性的唯幻論序説 改訂版』)いかにもフロイド主義者らしい分析と言うべきか。
仏教やキリスト教(更に儒教・イスラム教)などに共通して見られる、
激しい「女性差別」の背景には、何らかの“普遍的な”事情を
想定すべきだろう。
それを解明する試みの1つとして、興味深い。但し、岸田氏自身が、少年期に母親との深刻な葛藤から
強迫神経症に苦しまれたという、体験を持っておられる。
なので、その個人的な体験が投影されている部分も
当然あると考えるのが、フロイド的かも知れない。【高森明勅公式サイト】
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