昨日のブログで、明治以来の「男系男子」維持に固執する人々の、
“熱心さ”に触れた。しかし、いささか失礼ながら、この熱意は少し奇妙な印象を与える。
何故なら、もし本気で「男系」皇統を維持したいのであれば、
かつての葦津珍彦氏(『天皇・神道・憲法』)のように、
側室の復活と非嫡出による皇位継承を再び可能にする制度改正を、
真剣に訴えなければ筋が通らない(それが実現可能かどうかは別として)。
にも拘らず、そうした声はほとんど聞こえて来ないからだ。その一方で、皇室の尊厳と「聖域」性を損ない、
皇室と国民の区別を曖昧にしかねない、「旧宮家」系国民男性に
(結婚という人生の一大事を介さないで)そのまま皇族としての
身分取得を可能にしようとする(かなり無理で無茶な)方策だけを、
ひたすら声高に叫んでいる。だがこの提案は、側室が不在で非嫡出の継承可能性が絶たれたままでは
(過去の宮家〔4世襲親王家〕の当主の正妻だった方が、54%〔!〕
という高い比率で男子を生んでおられなかった事実に照らして)、
皇位の安定継承それ自体には、ほとんど繋がらない。更に不思議なのは、自ら唱えるその旧宮家案を実現させる為の、
現実的かつ具体的な努力を、懸命に重ねている気配も無いことだ。長期に及んだ安倍政権の時代こそ、千載一遇のチャンスだったはずなのに、
事態を動かす実効的な取り組みは、何故か遂に為されないままだった
(旧宮家案にネガティブな政府の国会答弁にも特にアクション無し)。それらに実はさほど熱心でなかったのに対し、皇位の安定継承を目指す場合
(目指さないなら、話は別だが)、現実的にほとんど唯一の妥当かつ
実現可能な選択肢と言うべき、「男系男子」限定の解除
(これにより女性・女系天皇も女性宮家も可能になる)を阻止(!)
することには、まさに渾身の力を振り絞って来たように見える。政府がこれまで問題解決の「先延ばし」を続けて来たのも、
こうした“抵抗”に配慮した為に他ならないだろう。多くの政治家が無関心な中、少数の熱心な男系派の“組織された”声は、
これまで一定の政治的圧力たり得たのではあるまいか。
それは率直に言って、当事者の主観的な思い込みはともかく、
結果として皇位の安定継承を遠ざけ、皇室の存続そのものを
危うくしているようにしか見えないのだが。不思議な熱意、奇妙な情熱と言うべきか。
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