九州ゴー宣道場、おつかれさまでした。
コロナ対策のために定員よりも大きな会場で、
設営のみなさんは準備段階から神経を使われたと思います。
結果は、初参加の方が半数というすごさ!
質疑応答では挙手がとても多く、はじめて九州で道場を
開催した時とは不思議なほど印象が違っていました。
大成功です!
施光恒教授からは、グローバリズムの問題点と、
日本人とは本来どのような人間像なのかという点を
掘り下げてお話しいただきました。
グローバル投資家と日本企業との関係性、それが果ては
法人税や消費税などの政策にまで波及して、
庶民の首を締めることにつながっているといった問題点に
ついては、聞いている人が筋道を見失わないように、
データを含めて本当にこまやかに解説していただきました。
今後、自分がどこかで書いたり話したりする機会に、
役立てていこうと思います。
また、日本のリベラルの言葉、憲法や権利といった言葉が、
なぜ日本では伝わりづらく、浸透しないのかという点などに
ついては、リベラルの問題という側面に加えて、
日本人とは一体何なのか、歴史的背景から醸成された観念、
日本人が物事をどのように受容してきたのかという面なども
含めて、倉持氏の著書をテキストに、私自身これからもっと
具体的に考えを深めていこうと思っています。
いまは東京帰りの飛行機のなかで、雲海を眺めながら、
この文章をスマホに書きつけているのですが、
ふと、「やさしさ」も、掘り下げてゆけば、動機や種類があると
思いました。
いま思い当たっているものは、
ひとつは、弱くて傷つきやすい人が、自分と同じように、
弱くて傷つきやすい人に共鳴するというやさしさ。
もうひとつは、強さがあってこそ発揮されるやさしさ。
強さというのは、腕力や学力などの話でもなく、
その人自身がまず地に足をつけて自立(自律?)した上で、
喜怒哀楽や、愛憎や辛苦の経験を得ながら、自己をひとつずつ
成熟させていく、その過程で蓄えられる、人間の力のような
もののことで、マッチョでなくても、女性でも男性でも、
強さを持つ人はいる。
状況によっては、ひとまずは、弱さへの共鳴を必要とする人も
もちろんいると思うけれども、
やっぱり人間としての強さから発揮されるやさしさでなければ、
弱った人を本当に助け出すことはできないときがあるし、
全体が間違った方向に流れてゆく危険な局面では、
抗うためにそこに立つ、ということも難しいのだと思います。
一朝一夕でインスタントに持てるやさしさでもなく、
予期しない時に「試される」もののようにも思うけど、
ゴー宣道場はそれを鍛えるために、日々考える場所でもあるなと
思いながら、羽田に着陸しているのでありました。