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高森明勅
2020.10.6 06:00日々の出来事

道徳は何故、必要か?

そもそも道徳は何故、必要なのか。
この初歩的な問い掛けにどう答えるだろうか。
恐らく様々な説明の仕方ができるだろう。
私の答えは至ってシンプル。

人は誰も1人では生きて行けないから。
ただそれだけ。

人が誰も“1人だけ”では生きて行けない。
この事実を否定できる人はいないはずだ。
又、いくつも根拠を挙げて、この事実を証明するのは容易(たやす)い。
人が1人で生きて行けない以上、他の人々と助け合い、支え合って
生きて行くしかない。

他の人々と支え合う中で、なるべく安全・快適、かつ「気まま」に
生きる為には、最低限の“秩序”が必要だ。
その秩序を形作り、維持して行くのに、ルールが欠かせない。
そのルールには何種類かある。

1つは勿論(もちろん)「法律」。
法律とは大まかに言って、強制を伴うルールだ。
その中身は、善悪に関わるルールと、善悪には関係ない「約束事」
としてのルールがある。
しかし、強制を伴う法律だけで秩序を作り、保つのは至難だ。
どうしても隙間(すきま)ができてしまう。

その隙間を無くそうとすればするほど、
(一般的に言って、憲法が国家権力への命令であるのに対し、
法律は国民への命令だから)人々は極限まで縛られて、
窮屈この上ない暮らしを余儀なくされる。
だから法律の他に、「道徳」が欠かせない。
道徳は、善悪に関わる、強制を伴わないルールだ。

又、善悪に関わらず、強制も伴わない、約束事としてのルールもある。
それが「慣習」だ。
道徳と慣習は強制を伴わない分、いささか意外かも知れないが、
(法律の肥大化を防ぎ)人々の「自由」を守る“砦(とりで)”たり得る。

それらに加えて、それぞれのルールの配分や、適用の在り方の
“バランス”について、人々が歳月を掛けて反省的に身に付け、
共有化された感覚も大切だ。
「常識」と呼ばれるものの、重要な部分はそれだろう。

以上の4つの柱が、人々の秩序の形成と維持に、
それぞれ大切な意味を持つ。
ならば、その中の1つとして、道徳はどうしても必要だ。
しかも、一般的な堅苦しいイメージとは逆に、人々の自由
(気ままな生き方)を確保する為に、大きな役割を果している。

交通規則や信号機が整備され、人々がそのルールに従ってこそ、
自由かつスムーズに各自の目的地に到着できる事実を思い起こすべきだろう。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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