そもそも道徳は何故、必要なのか。
この初歩的な問い掛けにどう答えるだろうか。
恐らく様々な説明の仕方ができるだろう。
私の答えは至ってシンプル。人は誰も1人では生きて行けないから。
ただそれだけ。人が誰も“1人だけ”では生きて行けない。
この事実を否定できる人はいないはずだ。
又、いくつも根拠を挙げて、この事実を証明するのは容易(たやす)い。
人が1人で生きて行けない以上、他の人々と助け合い、支え合って
生きて行くしかない。他の人々と支え合う中で、なるべく安全・快適、かつ「気まま」に
生きる為には、最低限の“秩序”が必要だ。
その秩序を形作り、維持して行くのに、ルールが欠かせない。
そのルールには何種類かある。1つは勿論(もちろん)「法律」。
法律とは大まかに言って、強制を伴うルールだ。
その中身は、善悪に関わるルールと、善悪には関係ない「約束事」
としてのルールがある。
しかし、強制を伴う法律だけで秩序を作り、保つのは至難だ。
どうしても隙間(すきま)ができてしまう。その隙間を無くそうとすればするほど、
(一般的に言って、憲法が国家権力への命令であるのに対し、
法律は国民への命令だから)人々は極限まで縛られて、
窮屈この上ない暮らしを余儀なくされる。
だから法律の他に、「道徳」が欠かせない。
道徳は、善悪に関わる、強制を伴わないルールだ。又、善悪に関わらず、強制も伴わない、約束事としてのルールもある。
それが「慣習」だ。
道徳と慣習は強制を伴わない分、いささか意外かも知れないが、
(法律の肥大化を防ぎ)人々の「自由」を守る“砦(とりで)”たり得る。それらに加えて、それぞれのルールの配分や、適用の在り方の
“バランス”について、人々が歳月を掛けて反省的に身に付け、
共有化された感覚も大切だ。
「常識」と呼ばれるものの、重要な部分はそれだろう。以上の4つの柱が、人々の秩序の形成と維持に、
それぞれ大切な意味を持つ。
ならば、その中の1つとして、道徳はどうしても必要だ。
しかも、一般的な堅苦しいイメージとは逆に、人々の自由
(気ままな生き方)を確保する為に、大きな役割を果している。交通規則や信号機が整備され、人々がそのルールに従ってこそ、
自由かつスムーズに各自の目的地に到着できる事実を思い起こすべきだろう。【高森明勅公式サイト】
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