わが国の最初の“正史”は日本書紀。
その日本書紀を読むと、「皇祖」(皇室の祖先神)として2柱(はしら)の神
(神は1柱、2柱と数える)が“名指し”で登場する。その1柱は、改めて言うまでもなく天照大神(あまてらすおおみかみ)だ。
神武天皇紀(日本書紀巻三)に、神武天皇ご自身のお言葉として
「我が皇祖〔みおや〕天照大神」と出て来る。もう1柱は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)。
こちらは神代紀下(同巻二)第9段・正文の地の文に「皇祖・高皇産霊尊」
と明記されている。先ず天照大神を取り上げると、同神は紛れもなく「女性」神だ。
そうすると、皇室の“神話”上の根源は女性だったことになる。
もう1柱の高皇産霊尊の場合、女性神と見るべき根拠は無い。
但し、同神が何故、「皇祖」と位置付けられているかに注目する必要がある。神話では、天照大神のお子様の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が
高皇産霊尊の“娘”・栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)と結婚され、
両神の間に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が生まれた。その系統から初代の神武天皇が生まれたとされる。
つまり、高皇産霊尊は娘の血統(女系)を介して「皇祖」とされているのだ
(古事記では娘の神の名前が違っているものの、血縁関係は同じ)。
興味深いことに、日本書紀において、「皇祖」は“女性”か、又は“女系”によって
遡(さかのぼ)ることができる神、ということになる。「男系」社会のシナでは決してあり得ない、日本独自の神話的想像力と
言わねばならない。
神話が、それを伝えた人々の価値観・世界観の表出であるならば、
このような点にも「日本らしさ」を読み取ることが出来る。【高森明勅公式サイト】
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