大学から、後期の授業も当面はオンラインで行う予定
との連絡が来た。
小・中・高は、分散とはいえ登校している。
大学は一般的に広いキャンパスがあるというのに、
なぜダメなのか、さっぱりわからない。
前期に担当した授業では、結局、学生とは一度も
会わなかった。
オンラインで提出してもらうレポートだけでは、
十分に学生の能力を把握しきれたとは言い難い。
毎回、手書きの原稿用紙で提出してもらっていたが、
オンライン上の文字では、苦心の跡を見つけづらい。
個別指導も難しい。
その分、毎回の授業で掲示板にスレッドを用意した。
コメントにはこまめに返信するようにした。
反応してくる学生はまだいい。
そうでない学生をいかに引っ張り上げるか。
主体的に関わらないと何の意味もないよ、と
口をすっぱくして言ったところで、
パソコンの画面越しで一体どれほど伝わるだろう。
集中力を切らさないために、授業では学生にどんどん質問した。
最近、誰がしゃべっていないかなと考えつつ指名する。
教室でやれば、ポンポンとテンポ良く進むのに、
オンラインだとやたら時間がかかる。
その会話(雑談に違いけど)が生み出す
教室内での一体感は生まれづらい。
あとでアンケートを取ってみたら、一人ひとりの学生に
思うところがあって、それをきちんと綴ってくれていた。
けど、教室で皆と爆笑したり、しんみりしたりといった
「体感」ではない。
社会人になったら、いや、それこそ夏休みが明けたら
忘れてしまうレベルだろう。
どうしたもんかな。
考えた末、前期の授業履修者は、時間があえば
後期の授業はモグリ(履修せずに授業を受ける)を可とし、
授業後の個別指導にも応じることを伝えた。
熱心な学生には、きちんとそれに応えるだけの
機会を与えたいと考えてのことだ。
だけど、後期も当面はオンライン。
会って話すことは叶わない。
1年生は、この1年間、キャンパスを知らずに
「大学生」生活を送ることになる。
これって「大学生」と言えるのか?
クラスターだかエピセンターだか知らないが、
大学側の過剰な保身のために、本来持つべき
知的好奇心の芽生えやそのための刺激を
奪ってしまっていいのか?
「眼に見えないもの」を軽視しすぎてはいないか?
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