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笹幸恵
2020.7.29 10:24日々の出来事

大学後期もオンライン

大学から、後期の授業も当面はオンラインで行う予定
との連絡が来た。
小・中・高は、分散とはいえ登校している。
大学は一般的に広いキャンパスがあるというのに、
なぜダメなのか、さっぱりわからない。

前期に担当した授業では、結局、学生とは一度も
会わなかった。
オンラインで提出してもらうレポートだけでは、
十分に学生の能力を把握しきれたとは言い難い。
毎回、手書きの原稿用紙で提出してもらっていたが、
オンライン上の文字では、苦心の跡を見つけづらい。
個別指導も難しい。
その分、毎回の授業で掲示板にスレッドを用意した。
コメントにはこまめに返信するようにした。
反応してくる学生はまだいい。
そうでない学生をいかに引っ張り上げるか。
主体的に関わらないと何の意味もないよ、と
口をすっぱくして言ったところで、
パソコンの画面越しで一体どれほど伝わるだろう。

集中力を切らさないために、授業では学生にどんどん質問した。
最近、誰がしゃべっていないかなと考えつつ指名する。
教室でやれば、ポンポンとテンポ良く進むのに、
オンラインだとやたら時間がかかる。
その会話(雑談に違いけど)が生み出す
教室内での一体感は生まれづらい。
あとでアンケートを取ってみたら、一人ひとりの学生に
思うところがあって、それをきちんと綴ってくれていた。
けど、教室で皆と爆笑したり、しんみりしたりといった
「体感」ではない。
社会人になったら、いや、それこそ夏休みが明けたら
忘れてしまうレベルだろう。

どうしたもんかな。
考えた末、前期の授業履修者は、時間があえば
後期の授業はモグリ(履修せずに授業を受ける)を可とし、
授業後の個別指導にも応じることを伝えた。
熱心な学生には、きちんとそれに応えるだけの
機会を与えたいと考えてのことだ。

だけど、後期も当面はオンライン。
会って話すことは叶わない。
1年生は、この1年間、キャンパスを知らずに
「大学生」生活を送ることになる。
これって「大学生」と言えるのか?

クラスターだかエピセンターだか知らないが、
大学側の過剰な保身のために、本来持つべき
知的好奇心の芽生えやそのための刺激を
奪ってしまっていいのか?
「眼に見えないもの」を軽視しすぎてはいないか?

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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