今日の『羽鳥慎一モーニングショー』によれば、
1週間後の8月3日には、東京都の重症者が94人になる
とのことだった。
でも、重症化の計算法が、一体どのような根拠で成り立って
いるのかがよくわからなかった。
現在のように、検査数を急増させる以前にも、
超大量の「無症状・軽微な鼻風邪症状の陽性者」が存在していた
はずだけど、その推定人数も算出した上で、重症化率を計算した
ものなのかな?
それから玉川徹氏が、コロナは人が死ぬウイルスなんだから、
ワクチンに死の副作用があったとしても、天秤にかけて、
どっちがいいか国民で議論すべきだと言っていた。
それを聞いて、絶対ワクチンなんか打ちたくないなと思った。
だいたい「コロナで死ぬか、ワクチンで死ぬか」みたいな
“究極の選択!”的な空気で煽るのがおかしいし、
いかにもテレビ的って感じでうさん臭かった。
死亡者数が極めて少ないウイルスに対して、
どうしてわざわざ自分から副作用死する可能性のあるワクチンを
打ちに行かなきゃいけないの?
無症状・軽微な症状の若者なら、感染して抗体を作ったほうが
ずっと安全でおトクで、集団免疫の形成にも尽力できるんじゃ
ないのか、と思えてならなかった。
それにそもそも、ワクチンは、副作用の問題だけでなく、
「効果があるのかどうか」も問題だと思う。
インフルエンザのワクチンだって、決して完全に予防できている
わけじゃないのに、なにを言っているんだろう。
しかも玉川氏、そのうち「ワクチン全員強制接種すべき」とか
言い出しそうで怖い。
山口真由氏が、かつてワクチンでギラン・バレー症候群の副作用が
出たことがあると反論していた。ほんと、こわいよなあと思った。
以前のブログで紹介したけれど、ワクチン開発がそんなに当てに
ならないというのは、本庶佑氏が『文藝春秋』で書いていた話だ。
かつてアメリカでインフルエンザのワクチン全員接種を開始したら、
副作用でギラン・バレー症候群を発症する人が続出して、
途中で接種中止になるという悲劇があったという。
薬の認可と同じで、副作用と効果のバランスがわからないワクチンを
無責任に国民に接種勧奨するわけにはいかない。
それは「役人の前例踏襲」という一言で非難できるような短絡的な話
ではないと思う。
モーニングショーって、話を単純化しすぎじゃないの?