小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」。
最新作(『SPA!』7月21・28日号)は「スウェーデン人の死生観」
を取り上げておられる。「死は悲しいことですが、自然現象であると思う」というのが、
彼らの“死”の捉え方だとか。
私としては、大きな違和感は無い。「そんな国民性だから、スウェーデン人はリスクがあっても
ロックダウンはせずに日常の楽しみを維持し、施設でコロナの
集団感染が起きて老人が多く死んでも、それも寿命だと動じないのだ」
という記述もある。
現代の日本とは大きな違い。何しろ、新型コロナウイルス恐怖症によって、
国民の側から緊急事態宣言の再発出を求める声が少なくない。
感染拡大を怖れる余り、そのことが日本の社会と経済にどれだけ
深い傷を負わせることになるか、想像力が働かないようだ。
このような状況の中で、高齢者施設で集団感染が起こり、
その結果、万が一にも「老人が多く死」ぬような事態にでもなれば、
どうなるか。以前、有名な芸能人が亡くなった時以上の衝撃が、
国中に走るのではないか。
それによって、ようやく少しずつ動き始めた社会活動が、
再び“凍結”してしまいかねない。
先日のゴー宣道場でゲストにお招きした木村もりよ氏は、
そういう展開を最も警戒しておられたように拝見した。8月に刊行されるという小林氏の憂憤警世の書『コロナ論』が、
このような空気を一変させる、大切なきっかけになることを願う。【高森明勅公式サイト】
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