憲法99条に以下のような規定がある。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」ここで「天皇(又は摂政)」が“最初”に挙げられているのは、憲法が予想する国家の秩序において、最も重要な地位を占めているからに他ならない。これは、第1章(!)に「天皇」の規定が置かれているのに対応する(ちなみに「天皇又は摂政」と「国務大臣…その他の公務員」は別の範疇と理解すべきだろう)。一方、「義務を負う」対象に“国民”が含まれていない。これは何故か。一般的には、国民の人権保障を掲げた憲法を国民が尊重・擁護すべきことは余りにも当然だから、とか、近代的立憲主義において憲法の尊重・擁護は、国民の側から国家権力に課するものだから、などと説明される。これに対し、別の理解の仕方も示されている。「『憲法の敵』『自由の敵』にも憲法上の自由を保障すべきかどうか…日本国憲法が、公権力の担当者だけを挙示してその憲法尊重擁護義務を規定するという方式をとっていることは、国民の憲法忠誠を制度化するやり方をとらないという選択を意味する。すなわち、『憲法の敵』にも憲法上の自由をみとめること、『すべての市民に対し、すべての政治的教理に関し完全な思想と宣伝の自由をみとめることを、それに伴う危険にもかかわらず、むしろ好ましいと考える』(第2次大戦末期のフランス共和国臨時政府下に設けられた、憲法問題委員会の報告書)、という選択を意味している」(樋口陽一氏)いわゆる“護憲派”の重鎮と見られている樋口氏の学説だけに興味深い。【高森明勅公式サイト】https://www.a-takamori.com/
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