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笹幸恵
2020.5.30 20:38日々の出来事

百貨店の員数主義?

もうすぐ母の誕生日。
何かプレゼントしようと思って最寄りの百貨店に行った。
結構な人出で、どの店もそれなりに賑わっている。
私が商品を見ていた雑貨屋さんも、
次から次へと人が入ってきた。
小池都知事がいたら「密です!」と言われ
解散させられるところだ。

百貨店の地下にある高級スーパーにも足を運んだ。
夕食の買い出し。
めったに行かないところだけど、
いつものスーパーまで移動するのが面倒くさい。

ところがここも結構な「密」。
それも、人がいっぱいだからというより、
レジでの手の込んだ感染防止対策のためだ。
ソーシャルディスタンスを保った行列ラインを
作っているのだが、それが売り場までどわ~っと延びており、
買い物客はその行列の合間を縫って商品の棚を見て回る。
精算を待つ人と、商品を選ぶ人。
よけい密集しているような気がするんですけど・・・。

何かに対処するとき、とかく日本人はそれが合理的かどうかより、
「対処してますよ」という姿勢を見せることを重視する。
形さえ整っていれば、とりあえずOKなのだ。
マスクやフェイスシールド、ビニールカーテン、
そしてソーシャルディスタンスの長い行列が
どれほどの効果があるか(そもそも必要かどうか)。
そこに疑問を持つ人はほとんどいない。

これって日本軍の精神構造と同じだなあと思う。
日本軍は「員数主義」と言われている。
とにかく官品の数がそろっていることが大事。
万が一、支給された官品を紛失してしまったら、
他の班からギンバイ(かっぱらうの意)してでも
数をそろえなければならない。

戦うために必要な兵装の数々、
一つでも欠けているなら、探し出すか、
なければ補充するしかない。
それが合理的な判断である。
しかし官品をなくしたなんて言ったら、
他班から後ろ指さされる、ダメな班だと思われる、
上官から叱られる・・・。

そんなわけで、ギンバイが当たり前となる。
ギンバイしてでも員数さえ整っていれば、とりあえずOKなのだ。
「戦うために必要」という本質はどこかに忘れ去られ、
員数をそろえることに躍起になるという本末転倒ぶり。
こうして「表面的に整っていること」が目的化する
(これは日本軍の戦い方にもよく表れている)。

店員さんはフェイスシールドにマスクに手袋。
客はながーい行列。
それで店内が「密」になっているというのに、
そこには誰もつっこまない。
表面的に整っていれば、OKだからね。
不思議なもんだね。
「密です」ではなく、その対策に
「無駄です」と言いたい。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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