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高森明勅
2020.5.1 06:00皇室

宮家と側室

皇位の安定継承は、側室が不在でも傍系の宮家で
カバーできるという意見がある。
しかし、楽観的すぎる。
皇位の継承と同じように、
宮家の継承も側室に支えられて来た
事実がある。
それ以前に宮家の創設自体が、側室を前提としていたケースもあった。
例えばいわゆる旧宮家の中の、明治天皇の内親王が嫁がれた
“新設”の3宮家。「皇女と結婚するがために宮家を立てられた」
(浅見雅男氏)とされる竹田宮・朝香宮・東久邇宮の各宮家などを
見ると、よく分かる。これらの宮家の場合、どの宮家も、創設当時の当主
(竹田宮恒久〔つねひさ〕王・朝香宮鳩彦〔やすひこ〕王
・東久邇宮稔彦〔なるひこ〕王)も、その妃となられた内親王
(昌子〔まさこ〕内親王・允子〔のぶこ〕内親王・聡子〔としこ〕内親王)も、
皆様、側室のお子様(非嫡出)でいらっしゃった。具体的には以下の通り。


〇昌子内親王→ご生母は明治天皇の側室・園祥子
〇允子内親王→同上
〇聡子→同上
〇竹田宮恒久王→ご生母は北白川宮能久親王の側室・申橋幸子
〇朝香宮鳩彦王→ご生母は久邇宮朝彦親王の側室・角田須賀子
〇東久邇宮稔彦王→ご生母は朝彦親王の側室・寺尾宇多子

ちなみに、いわゆる旧宮家で今のところ存続可能と見られるのは、
上記の3宮家系の他には久邇・賀陽ご両家のみ
(他は既に断絶又は継嗣がおられない)。
ご両家創設の際の当主も、次の通り。

〇久邇宮朝彦親王→ご生母は伏見宮邦家親王の側室・鳥居小路信子
〇賀陽宮邦憲王→ご生母は朝彦親王の側室・泉亭静枝子

もし、これらのご生母となられた側室の方々がおられなかったら、
上記の宮家は全て存在しなかったはずだ(つまり、いわゆる旧宮家はゼロに)。
それだけ、側室という存在の貢献は大きかった。逆に言えば、
側室不在という現実がいかに厳しいか。
その事実を私共は銘記する必要がある。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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