中四国設営隊長・しろくまさんの
ご意見紹介です!
身近にあった自粛について投稿させていただきます。
ボランティアをしている大原美術館が、先週11日から臨時休館に入りました。
今回の長期の臨時休館は、コロナが収束されない中、各地から来館を誘うこともあり、より安全な鑑賞環境確保を目指し態勢を立て直すため、熟慮を重ねた結果、このような苦渋の決断となりましたと連絡があり、再館の日程は未定です。
3月頃からコロナの影響で各地の博物館、美術館が休館される中、開館されていたので、何とか頑張って欲しかったです。
とても残念ですが、また再開して欲しいです。
自国の文化は、医療や教育に比べて公共性の認識は低いかも知れません。自国の文化的なイベントの自粛には危機感を感じています。
大原美術館は今年でちょうど90周年を迎えました。1930年に開館されてから先人たちが守ってきた「いかなる時もお客様を受け入れ続けた美術館」でした。
長期休館に入るのは、終戦後以来です。
当時、戦時中でも見にくる人がいれば作品を見せていたと、長期休館は終戦後の1ヶ月間だけでした。
当時のことを調べてみると、大変な状況だということがよく分かりました。
当時の人たちは空襲がいつ起こるか分からない状況の中でも、危ないからと防空壕にずっと入っていた訳ではなく、仕事もして、学校にも通って生活をしていたことです。
日本の戦局が厳しくなってきた頃、1945年(昭和20年)6月29日に主な作品を疎開先にトラックで出発する予定日に、午前2時43分、140機のB29が岡山市上空にあらわれ、空襲は午前4時7分まで、1時間24分もの間続き、140機が人々の上に焼夷弾を投下しました。
人口は16万3,000人余りの岡山市は、無差別な悉皆的な都市の破壊、焼滅を受け、無差別爆撃計画のもと、この空襲により罹災者数約12万人、負傷者数約6,000人、死者数1,737人で2,000人を超える説もあり正確な犠牲者数は不明です。
市街地の63%が焼失しました。
未明ということもあり空襲警報も出されず街は燃え盛る中、市民は逃げ惑うばかりで、防空壕は蒸焼きで多くの人達が亡くなっていたそうです。
まず大都市を空襲し、後は中小都市の空襲が開始されました。大都市に比べ規模は小さいので一晩で4つの都市が空襲を受けました。終戦までに66都市が焼き払われました。
当時の人たちは、空襲を恐れて今の人達と同じく自粛したり休業をしていたのでしょうか?
今は戦時中では無いけど、新型コロナで日本の多くの人達が自粛と休業要請を行い、経済を止めることはどうなのかと思います。
国民がそれこそ生活が出来なくなってしまいます。
長文失礼いたしました。
次回の「闘論席」の内容を先取りされちゃったと
よしりん先生も感嘆!
戦時中だって日常は存在したのです。
新コロごときで日常を自ら破壊するなんて愚の骨頂!
というわけで、木村もりよさんをお迎えした
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