エサ・ペッカ・サロネンという指揮者がいます。フィンランド人で作曲家。
私がおそらく世界で最も好きな指揮者です。とにかく彼がタクトを振れば現代のオーケストラ芸術のもつあらゆる要素がすべて表現されます。美しさ、儚さ、暴力性、チャーミングさ、絶望、頽廃、とにかく異空間に連れていかれること間違いなし。そして何より指揮ぶりがめちゃくちゃに美しい。カッコいい。
彼の振るストラヴィンスキー、イケない薬を摂取してしまったときのようになる。春の祭典なんかはもはや人間の野蛮性や自然と人間界との境界にある危険な神秘性に自然と足が拍子を打っています。火の鳥では、もはや幻覚見えるからね。最後の大団円での微弱音からのトゥッティにいたるところなんか、大人用オムツがいります。ラヴェルのマメールロワ「妖精の園」やクープランの墓の「メヌエット」の音楽なんかは、時が止まるかと思うし、息もとまってるよね。
音楽はただただ「体験」なんだと思い知らされます。
なので、CDではあまり良い録音がありません。あれはまさに空気の揺れと人間の五感との相互作用なので、機械では補足できません。ですから、サロネンが演奏するときは世界のどこへでも聴きに行きましょう、という感じです。
そんな彼が、朝日新聞のインタビューに答えている記事を見つけたので紹介します。
そんな「生」な彼が、テクノロジー好きというのもなんだか興味深いです。
短いけど、バランスのとれた良い記事&インタビューですね。サロネンのエッセンスがコンパクトに書かれている。
最新技術との接合もそうだけど、最後の部分がいいね、
「音楽家は社会に無関心であってはいけない。安易に価値を下げず、複雑なまま、芸術と一般の人々を出会わせることに、私たちはもっと使命感を抱くべきだと思う」
そう、複雑なものを複雑なまま、なんとか理解してもらう。少なくともそういう努力をする。
「もっと簡単にしてよ」「難しすぎる」「キャッチ―じゃなきゃ届かないよ」っていう圧力に屈してないか?
と法律家としても自問するところです。
そしてまた、そのままこれは民主主義や政治的な話にも直結します。
自分が売り込みやすいところだけ、心地よいぬるま湯だけに対して安易に自らの価値を下げたり理念そっちのけで「上顧客」だけ見ていればよくなる。「この業界とはそういうものだ」という枕詞でマウンティングして、業界内だけを見た売り出し方をしてる。そのうち、自己保身のためにその業界だけでしか通用しない言葉と空気でその世界を満たしてしまうために、人々は無関心になって、離れていくか、ニヒリズムに陥る。
実は、いわゆる民主主義とか政治の閉塞感へのカウンターって、もはや政治ではないところに転がってますよね。そんな一例です。
2月9日はゴー宣道場で、新しい民主主義の話をしよう。
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ー以下引用ー
「私は典型的なオタクです。新しい技術が生まれたら、片っ端から試したくなるんです」
幼い頃、オーケストラによる学校公演を退屈に感じた経験が礎になっているという。「自分も一緒に何かやりたい、音楽に参加したいと思った。あの頃の自分が今この時代にいたら、その夢をかなえてあげられるかもしれない」
AI(人工知能)、音楽家、聴衆の「三位一体」による全く新しい総合芸術を創造したい、との野心もある。観客ひとりひとりの声をスキャンし、それをAIがメロディーに仕立て、サロネンがつくったハーモニーをつけるという「三位一体」による創作も、すでにフィンランドで実験済みだ。
「ワーグナーが今生きていたら、ソニーに交渉し、最先端のテクノロジーを使って新作を書いているはずですよ」
「いつの時代も、芸術は最先端の技術と影響を与え合っている。ベートーベンの楽曲がピアノという楽器の発展に大きく寄与したように。音楽家は社会に無関心であってはいけない。安易に価値を下げず、複雑なまま、芸術と一般の人々を出会わせることに、私たちはもっと使命感を抱くべきだと思う」
「私は芸術の未来については楽観的です。問題があるとすれば、芸術を崇高で孤高なものとする音楽業界の『売り方』のみではないでしょうか。私は芸術の力を信じます」