日米安保の改訂から60年を迎え、読売新聞では
その歴史を振り返るキャンペーンを行っている。
安倍首相は都内で行われた記念式典で、
「日米安保は不滅の柱」だと強調したという。
一方、トランプ大統領は日米安保を
不公平な合意だと語っている。
「我々が攻撃されても日本は全く助けてくれず、
ソニーのテレビを見ていられる」と批判したのは
記憶に新しい。
また、ワシントンで開かれた日米安保セミナーでは、
日本側参加者から「プランBを検討すべき」との
声が上がったという。
プランBとは、米国に依存した現在の日米安保の
代替案を意味するという。
その具体的な内容にまでは踏み込んでいないが、
自主独立の道を歩むということだろうか。
アメリカは本当に日本を守ってくれるのか、
そういう懸念が少しずつだが日本人の間にも
広がってきている表れとして記事では扱っている。
安全保障を論じる場では、結局のところ
問題はすべてそこに行き着くのではないか。
多くのアメリカ人(とくにトランプ支持者)は、
アメリカが被害者だと思っている。
世界の警察であるためにどれだけの犠牲を
払ってきたか。
そんな中で、いくら「日米同盟は不滅ですよ」と
懸命に訴えたところで、空回り感がハンパない。
「私を捨てないで」とすがりついている
ようにしか見えない。
日本は一億総依存体質か?
いつまでアメリカさまのご威光にすがって
生きていくのだ?
わざわざ思いやり予算を拠出して、
日本国内の米軍基地に米軍さまを
引き留めておかなくてもいいではないか。
日本は自主防衛に舵を切ればいい。
そもそも、同盟に不滅も不動もありはしない。
結果としてそうなることはあっても、
100年先まで不滅だ、などと未来を予測して
言い切ること自体が無責任、主体性の放棄。
アメリカに頼り切っているということは、
結局はアメリカの国益に従わなければ
ならないことを意味する。
「捨てないで」とすがりつけば、
「捨てない見返りに、じゃあお前は
俺に何をしてくれるんだ?」となる。
「あれもするわ、これもするわ」と献身的に尽して、
誠に御しやすい都合の良い相手となる。
こんなんじゃ日本独自の安全保障戦略など立てられない。
いつだって最終的にはアメリカさまのご意向を
伺わなければならないのだから。
それは主権国家のあるべき姿か?
日米安保が不必要だというのではない。
アメリカを敵に回せというのでもない。
アメリカに依存する体質を変えるべきなのだ。
場合によっては同盟を解消するぞ、と
アメリカに迫るだけの外交手腕とカードを持ってこそ、
対等の国どうしの同盟と言えるのではないか。
以前、こんな話を現役自衛官にしたら、
思いっきりひかれてしまった。
危険思想の持ち主だと思われたみたいだ。
だけどなぜそうなるのかが、私にはわからない。
ふつーの国なら、ふつーに持つ考えだと思うけど。
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