「ゴー宣道場」は「世間」とは言えるだろうが、「世界」
ではありません。
そんなことは常識があったら分かるはずなのに、
問題行動があって、「ゴー宣道場」から外される人は、
異様な憎悪や敵意を燃やします。
それは「ゴー宣道場」を「世界」と思い込んでいるから
です。
「世界」はもっと広くて、いろんな「世間」が存在します。
別の「世間」や「共同体」で生きていけばいいのに、
自分が「世界」から除外されたと思い込むようです。
それは別の「世間」にも「共同体」にも入れない孤独な
人だからなのかもしれません。
しかし、「ゴー宣道場」は仲良しこよしの「世間」でも
「共同体」でもない。
そこは門下生は理解していなければならない。
「説明責任」は、政府が主権者たる国民に果たしたり、
経営者が株主に果たしたりするものだろう。
「ゴー宣道場」の場合は、人を必要以上に貶めたりする
ことは武士の情けでひかえる。
「説明責任」が個人の人格を否定するようなことに
なる場合もある。
「説明責任」原理主義はダメだ。
辞めた人の人格も守るくらいの感覚でいこう。