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高森明勅
2020.1.4 06:00皇室

皇居「一般参賀」の起こり

令和2年の新年一般参賀。
天皇陛下ご即位後、初めての新年参賀だった。
1月2日は晴天に恵まれ、約6万9千人の国民が皇居に詰め掛けた。
昭和以来、正月に欠かせぬ光景だ。
この一般参賀の始まりはいつか。

いまだ占領下にあった昭和23年に遡る。
宮内府(宮内省から昭和22年に変更。同24年から宮内庁)が、この年の元日に
一般国民の参賀を受け付ける、と発表した(当時の名称は国民参賀)。
それまでの「参賀の儀」は直接、天皇陛下のお姿を拝する事は出来なかった。
しかも、伯爵、従二位・勲二等~従八位・勲八等以上の有位有勲者、
門跡寺院の住職などに限られていた。
その服装にも厳しい規定があった。
それでも、宮殿に用意されている「参賀簿」に署名して帰るだけだった
(天皇に直接お会いする拝賀者は、公爵・侯爵、正二位以上・勲一等以上)。
だから、一般国民が皇居の中に入って参賀できるのは、全く初めての試み。
画期的な出来事だった。

当初は、皇居の正門から入って、鉄橋辺りに設けられた記帳所で祝賀の記帳
(住所と氏名を書く)を行い、そのまま引き返して正門から退出する、
というコースが計画されていた。
ところが、想定以上に多くの人達が押し寄せた。
そこで混乱を避ける為に、そのまま戦災で焼けた「明治宮殿」の焼け跡を通り、
宮内府庁舎の前から坂下門を出るというコースに変更した。
天皇陛下がお姿を見せられる事は一切、考えられていなかった。
ただ、一般国民が参賀の為に皇居に入っている事実は、昭和天皇に報告された。

その頃、天皇は宮殿が焼けた為に、宮内府庁舎の2階の一室をご公務室にされていた。
ご報告を聴かれた天皇は、すぐに「せっかく国民が来ているのだから、どこからか、
その様子を、見る事は出来ないものだろうか」とおっしゃり、何と庁舎の屋上に
お上がりになって、国民の様子をご覧になった。
しかし国民の側は、まさか天皇ご自身が、わざわざ吹きさらしの屋上に登られてまで、
自分らの様子をご覧戴いているなどとは、夢にも思わなかった。
なので、1月1日と2日の参賀の時(この年は1日と2日にも参賀が行われた)には、
報道記者やカメラマンも含めて、誰も天皇に気付かなかった(ちなみに、この時の
参賀者の総数は1日が7万人、2日が14万人と推定されている)。

次に、お誕生日の4月29日に参賀があった。
3回目の参賀だ。
さすがにこの時は、参賀の人達が屋上の天皇のお姿に気付いた。
今もその時の写真が残っている。
国民は庁舎の下から万歳をしたり、帽子を振ったりして、祝賀の気持ちを
精一杯表している。
昭和天皇も屋上から、帽子を大きく振ってそれにお応え下さっているご様子が、
しっかりと写っている。
正月と天皇誕生日に、国民が皇居に参上して祝賀の気持ちを表し、天皇陛下
ご自身がそれにお応え下さる、双方向の一般参賀。
そういう形は、宮内府も国民も、まるで想像していなかった。
それを一変させて、今のような姿に繋げたのは、昭和天皇が国民にお寄せになった、
お優しいお気持ちだった。一般参賀の原点はここにある。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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