あけましておめでとうございます。
正念場の令和2年、どうぞよろしくお願いします。
今年は沖縄で年を越しました。
初詣は久高島と斎場御嶽(せーふぁうたき)です。
神社には行きません。
『沖縄論』をお読みの方はご存じと思いますが、久高島は沖縄開闢の女神・アマミキヨが降臨したとされる「神の島」であり、斎場御嶽はその久高島を遥拝する、沖縄で最も重要な信仰の場所です。
今回斎場御嶽は15年ぶり2回目の訪問、久高島は沖縄論の取材でも行っていないので、今回初めてです。
昨年ドキュメンタリー映画『岡本太郎の沖縄』を見て行きたくなったこともあり、念願の初訪問となりました。
斎場御嶽の遥拝場から久高島を臨んだところ。
久高島も斎場御嶽も、拝殿だの参殿だのといった信仰のための建造物は一切ありません。岩や空間といった自然物が信仰の対象です。そして、これが日本本来の信仰のあり方です。
神社は仏教に対抗して作られるようになったもので、神道本来のものじゃないそうです。
実際行ってみると、そこには立派な建物など何もなくても、はっきりと生きている信仰の空気を感じました。
久高島の現地ガイドさんは、アマミキヨと天照大神は同一人物だと言っていました。
斎場御嶽は琉球王国の最高神女「聞得大君」(きこえおおきみ)の就任儀式が行われた聖地で、聞得大君は国王よりも権威が高く、琉球王国では卑弥呼の邪馬台国ような、神託による政治が行われていたそうです。
『沖縄論』に描かれていたとおり、沖縄にこそ本来の日本があるのです。
そう考えれば、日本の象徴であり、天照大神の子孫である天皇が「男系男子」でなければならないと主張している神社界って一体何でしょう?
私にはそれは「紛い物」としか思えません。
この正月、沖縄を訪問してみて、私も「紛い物」の神社には行きたくないなと思いました。