【『分断と対立に立ち向かう「愛」の第九交響曲~ロスフィル100周年コンサートのドゥダメル指揮「歓びの歌」と自由の“光と影”~』@朝日新聞『論座』】
朝日新聞の論座に寄稿しました。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019122400010.html
今回は、LAフィル100周年記念ガラコンサートから、オオトリを飾った音楽監督グスタヴォ・ドゥダメルの指揮によるベートーベン「第九」と、その前半にカップリングされたメキシコ人女性作曲家による『YANGA』(南米の黒人奴隷解放の英雄)を通じて、自由の”光と影”や、「歓び」(個人的な「喜び」ではない!)分断・対立を克服しようとした「第九」のプロジェクトについて、書きました。
①LAフィルの100周年のブランディングは、やはりリベラルな多様性を体現していた。
②第九はあえて合唱の冒頭に「おお友よそのような音楽ではない!」と否定することによって対立・分断を自作自演した上で、それを「歓び」で統合することを目指した
③しかし、そのときに措定した「同胞」や「人類」は、知らぬ間に誰かを排除する論理を内包していた。「我々」に入らない「誰か」がいないか?➡第九のナチスによる利用などなど
ここに無批判な「自由」とリベラル(世界みな同胞)の欺瞞が存在する!
④第九の熱狂は、そのうちにこぼれ落ちるあるゆるものを忘却させる麻薬である。
⑤ドゥダメルは、三楽章で、狂気にも似たほどまっすぐな「愛」でこの分断と対立を治癒しようとした。第九の眼目は三楽章にあった。
⑥そんな第九を、この年末に聞く際、「我々」が知らないうちに「誰か」を排除していないか、思いを馳せてみませんか?自由のために闘う人々の中に、常に「第九」はありました。
みたいなことを書いてみました。ベートーベン250周年を前に、一回自分の役職や立場や属性を脱いで、人がたじろぐくらいの楽観や愛に身を投じてみませんか。
やっぱり、愛だろ、愛
みたいな、かなり乱暴な文章ですが、是非ご高覧ください。
特に、年末にそこかしこでかかる第九を耳にしたら思い出してもらえると嬉しいっす。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019122400010.html