『WiLL』2月号に「よくわかる皇位継承論のツボ」として
対談が2本、掲載されている。
1本目は小林先生とケント・ギルバート氏。 2本目は百地章氏と竹内久美子氏。 (1本目についての感想はコチラ) https://www.gosen-dojo.com/blog/24695/
今回は対談2本目について。
百地氏と竹内氏・・・この組み合わせを見ると、
もうそれだけで内容がだいたいわかってしまうけど、
先入観や色眼鏡はよくないので虚心坦懐にページをめくる
・・・けど、やっぱりY染色体礼賛記事だった!
いわく、
「男しか持たない性染色体Yを、
ほぼそのままの形で継承してきた」
「Yについては交差が起きないため、薄まらない」
「神武天皇のY染色体が天皇陛下に受け継がれている」
「科学的説明などなかった時代に、先人たちは
男系の大切さを感じ護り続けた」
染色体によって人間の価値をはかろうとすること自体が
何だかとても恐ろしいと私は感じてしまう。
ある種の科学万能主義、科学絶対主義に対する
違和感や不信感がぬぐえない。
先人たちは男系を守ろうとしてきたのではなく、
天皇家を守ろうとしてきたのだ。
そのためには、男とか女とかは二の次。
ほかに適任がおらず、推古天皇が他の皇族や
豪族たちに請われて即位したのはその良い例だ。
また男系の血統で続いてきたというのも留保が必要だ。
天智天皇(38代)や天武天皇(40代)は、
父・舒明天皇(34代)と母・皇極天皇(35代)の
息子たち。父も母も天皇だったわけだ。
皇極天皇が重祚して斉明天皇(37代)となり、
その次に天智天皇が即位している。
つまり順番からすると、女系の男子が
天皇になったと見ることも可能なのだ。
父も母も天皇なのに、なぜか母が天皇だったことは無視される。
そして、Y染色体なる後付けの理由でもって、
天智天皇は「男系男子」と位置づけられる。
おかしいよなあ。
男系は、父方のみならず、父方&母方も含む。
だけど女系は、母方のみ。
男系の定義のほうが幅広いんだから、そりゃ
「歴史上、例外なく男系男子で続いてきた!」
にもなるだろう。
もちろん天皇や皇族に権力があり、それをめぐる争いが
あった時代。男性が優先されていたであろうことは
容易に想像がつく。
しかし、だからといって、女が完全に無視されて
いたわけではない。
ときに女が君臨し、ときに女によって権威付けと
正当性を担保してきた。
推古天皇は、中国にも朝鮮半島にも女帝がいない時代、
はじめて女性の君主になった。
ゆるやかな双系こそが先人たちの知恵であり、
今のようにゴリゴリの科学信奉で、
男じゃなきゃダメ! Y染色体じゃなきゃダメ!
などとは言っていない。
今のほうが、よっぽどタチの悪い男尊女卑感覚だ。
あああ、なんか対談のごくごく最初の部分だけで
また長くなってしまった。
まだまだ、つづく。
次回はこの対談の大きな矛盾点を暴く。