十条駐屯地に行った。
あちこち出かけるときは、必ず軍事施設や
戦跡がないかを調べる。
とくに十条は、陸軍の造兵廠があったしなあ。
ぐへへ・・・。
ネットで検索してみると、同じ趣味趣向を持った人は
いるもので、十条戦跡のあれこれが出てきた。
明治38年、東京砲兵工廠(小石川)の銃包製造所が
十条にできたのがはじまり。
相場より良い値段で国が土地を買ったそうです。
町には当時のレンガ造りの一部があちこち
再利用されていて、見どころが多かった。
あと、中央公園の文化センターは、
造兵廠本部の建物が使われています。
この脇には、銃包製造所時代のボイラーの一部が
展示されていました。
そしてなんとお隣には、古墳・・・。
古墳時代の横穴式石室が残されています。
考古学を少しずつ学ぶようになってから
古代にもテンション上がってしまうので、
この近現代と古代のコラボレーションに狂喜乱舞。
いや~、北区ってすごいぞ!!!
十条付近は古墳がかなり見つかっているのですが、
ガンガン工事して軍事施設が建設されました。
どういうわけか事故死した人が多いとか。
こ、古墳の埋葬者のたたり・・・?
亡くなった方々のための慰霊碑もありました。
さて、駐屯地内の広報室にもお邪魔したのですが、
軍事関係の資料とは別に興味深いパネルがありました。
これ、『写真週報』という雑誌なのだけど
造兵廠内に保育所があったという記事です
(昭和17年11月18日、第247号)。
当時は人手が足りなくて、近所の女性たちが
貴重な働き手。
サブタイトルは「働く母を護りませう」。
必要に迫られていたとはいえ、昭和17年の時点で、
職場に保育所とは、何と先進的な。
今、大企業でも職場に保育所ってあんまり聞かない。
というか、そもそも乳飲み子を抱えて
満員電車で通勤するのはかなり大変だろう。
だから設置していないのかもしれないけど、
そうなると結局、育児は個人(母親)の努力に
ひたすら依ってしまうことになる。
保育園に落ちたら、仕事を辞めなければならない
という二者択一を迫られる現代に比べて、
戦時中の何と融通がきくことか。
(もっとも、これぞ国家総動員、という見方も
できなくはないのだけれど)。
十条、なかなかに味わい深い町でした。
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