独占欲
好きな男性ができて、「私と彼の美しき世界」なる幻想の時間が
過ぎ去り、なんらかの現実が見えはじめると、いつもそこから
自分の独占欲との「内なる戦い」がはじまる。
小学校5年生のとき、サッカー部のキャプテンだったコバヤシ君が
私の初恋の男性だ。
放課後はよく校庭で駆け回るコバヤシ君の姿をほわあんとした
気持ちで眺めていた。
クラスには、発育が早くてすでに大人の女らしさをまとった女子の
グループがあり、コバヤシ君は彼女たちとよく話していた。
みんなで電車に乗ってナガシマスパーランドへ遊びに行ったらしい。
ジェットコースターの話で盛り上がり、じゃれついていた。
私はひとりで本を読んだり、ごそごそとノートに小説を書いたり
している内向的なタイプで、「大人っぽいグループ」の様子に
圧倒されつつ、横目で羨望しながら、ただじっとしていた。
でも好き。ああ話したい。でも無理。でも好き。
想いが胸の中で爆発した私は、学校から帰るとすぐに勉強机に
向かい、ノートを開いてそこに小説を書きはじめた。
主人公は私とコバヤシ君である。
人気者で素晴らしい容姿と俊敏な運動能力を持つ彼、
きらきらとサッカーボールを追う元気な姿を描いたあと、
私はコバヤシ君を突然の交通事故に合わせて足の骨を折った。
サッカーができなくなったコバヤシ君を、散々苦悩させて
人生最悪なまでに落ち込ませる。
私はそんなコバヤシ君に付き添って、ときに励まし、ときに諭し、
ときに優しく甘くささやいて、賢明にリハビリ生活を支えて、
見事ふたたびサッカーのできる体にもどした。
大学ノート1冊分にもおよぶ大作で、
ジュディ・オングのような羽を広げた私が、
足にぐるぐる包帯を巻いたコバヤシ君を抱いている、
精神分析学的に見ればぞっとするような挿絵付きである。
書き上げたときは非常に満足した。
ところが、現実の学校では、コバヤシ君とはまだ話すことも
できていない。
大人っぽい女子たちに囲まれて談笑している様子を見て、
またもや内なる独占欲がめらめらと燃えはじめ、暴発していく。
学校から帰ると再び勉強机に向かい、新たなノートを広げて
小説の第二章を書きはじめた。
ようやくサッカーができるようになったコバヤシ君だったが、
今度は不治の病にして、とても頑丈な大病院に長期入院させた。
落ち込むコバヤシ君をはげまし、抱きしめ、笑顔でなごませ、
サッカーボールを窓から投げ捨ててしまう様子を、
病室のドアのすきまからジッと見ていて、
院内でサッカーチームを作る手伝いをしたりした。
コバヤシ君は二度と病院の塀の外へと出ることはなかったが、
献身的な私の看護によって、幸せに暮らした。
・・・・・・怖すぎる!
しかし小学生の女児でも、これほどの悪魔のような独占欲を
燃やすのである。
大学ノート2冊に渡るこの小説は、書いている本人は愛の世界と
思い込んでいるのだが、その思い込みが強すぎるところが、
むしろ「ホラー」として楽しめるという無気味さを醸していた。
愛子さまが、中学1年生の頃にお書きになったファンタジー小説
『愛子の診療所』とは完全真逆の強烈なエゴのみの世界である。
愛子さまは、広い海原の上に取り残された看護師の自分が、
そこに訪れたさまざまな傷ついた生き物たちをひたすら看護し、
生き物たちの生きる活力になるという世界観を描かれている。
高貴な母性で国民一人一人を包み、癒す天皇像が、中学1年生の
時点ですでに愛子さまの中に宿っているのだと思う。
すごいことだ。
一国民の私は、高貴な母性的感性を持つ愛子さまに感嘆しながら、
自分のひどい独占欲とのギャップにぽりぽりと頭をかき、
いつまた始まるやもしれぬ欲の暴発、内なる戦いに備えて
「アタシってばさ・・・」とだらしなく頬杖をついてため息を漏らす。
やさぐれ切らないように、少しやさぐれて、でもまた罠に嵌るのが
私のキャラクターである。