昨日「泥にまみれて」を読んだが、わしが高校生の頃、
読んだ印象とは全然違っていた。
良人はDVしてた印象を持ってたが、そんなシーンは
ないし、セックスシーンが度々出てた気がしてたが、
度々ではないし、どうやらわしの父親の嫌な思い出や、
その後のわしの人生で、男の嫌いな部分をすべてこの
小説の中に書いてあったものと記憶が修正されていた
ようだ。
若い頃読んだ小説は年とってもう一度読んだ方がいい
かもしれない。
なぜあのとき嫌いだったのか?なぜあのとき好きだった
のか?
若い頃の自分と今の自分を比較できる。
今読むと、あの良人はわしにそっくりだ。
よそに子供を作ってないわしの方が良心的かもしれ
ないが、作っておけばよかったと思った。
そもそも「男に尽くす」という女が今では否定されて
しまうだろうが、わしは今でも「芸のためなら女房も
泣かす」という歌が好きだし、テレサ・テンの愛人ソング
が大好きだし、理屈でどうこうなる問題ではない。
わしの多情が男尊女卑というのは違うと思っていて、
それは決して女を卑しいと思ってないからで、女は神
と思って崇拝している。
わしの周囲の女は全てわしを支える女神ばかりであり、
その女神の「多様性」を認めるわしはリベラルである。
感謝しかない。まったく感謝しかない。
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