ゴー宣DOJO

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トッキー
2019.11.5 11:18ゴー宣道場

前回道場『天皇論「日米激突」』の感想から

先月のゴー宣道場『天皇論「日米激突」』について、
門弟Oさんの感想をご紹介します!

 


 

全体的にルオフ先生の議論に対しての誠実な人柄が感じられ大変に好感を持ちました。前回の道場が例によってゲストが大ハズレだったので、実に対照的な回であったと思います。建設的な議論というのはこういうものだというのを見た気がします。

対談本を読んでいても感じたのですがルオフ先生は学者的な衒いやプライドというのが良い意味で感じられない方でした。飾りがなくて自然体で話されている印象です。特に、わからないことは「わからない」といい、そしてしっかり相手に質問をして聞いてみる。それが誰であってもそういう態度を一貫して取る。こういう点が素晴らしい方だと思いました。

当たり前だろうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これを誠実に徹底してできる方ってなかなかいないと思います。わからないことをなんかごまかしたり、わからないことをその場で相手が専門家でなくとも質問してみたりというのは変なプライドがあるとできないですし、学者ではそんなに多くないと思います。

議論の中身では相違点は確かにあるのですが、ケネス先生なりの主張の背後にある論理を聞いてみると、一概に反対とは言えないなと思いました。
伝統の魔術性の議論に関しては、たしかにまかり間違うと因習が伝統と定義されかねないという問題があるのでこの指摘はそうだと思います。そもそも論として伝統自体が物語性を帯びているわけで、伝統を巡る話って概念的な問題だとも思っています。

皇位継承に限らずですが、今で伝統と呼ばれているものは時代に合わせて姿を変えているのは歴史を見ればよくある話です。神社にしたって昔は、今みたいに社殿が常設されていたわけではありませんでしたからね。臨時に祭祀のときだけに仮殿を立てていたわけです。変化しないことが伝統なら社殿ができた時点で伝統ではなくなる。

左派の側からよく「創られた伝統」という批判があるのですが、そもそも私は「伝統」は時代時代に合わせて変化し創り上げて継承していくものだろうと思っています。その際にそれを伝統とするか否かはその時代時代に人間がその変化を伝統と承認することにかかっているのではないでしょうか。

戦争責任の話に関しては、ルオフ氏の見解にフェアな印象を持ちました。アメリカの日本への都市への空爆などに関しても責任や謝罪をというお話があったので。ただやっぱりあの時代に昭和天皇が退位をする、反省の弁を述べるというのは現実味がなかったのかなぁと思ってしまいます。最近NHKでも特集が組まれていましたが、退位や反省のことばにかんしては昭和天皇ご自身も案としては真剣に検討されていたみたいですしね。

マダム・バタフライの話はとても驚きました。最初マダム・バタフライの発音がネイティブすぎて(当たり前ですが)聞き取れなかったのですが蝶々夫人のイメージが未だに外国では強いんですね。ただ、冷静に考えると専門に調べている人間ならともかく、現地に行ったことがなく、なんとなくカルチャーで外国を理解すればそういう偏見は残るのではないかなと思いました。私もアメリカの一般人の価値観や感覚を理解しているかといわれると怪しいですし。

日本の政府がアメリカの大学に日本のプロパガンダ的な講演依頼するみたいな話は始めて知りました。ルオフ先生曰く「やらないほうがいい」みたいですけども。やることそれ自体よりもやりかたが却って相手の不興を買ってしまっているようですし、戦略的に問題があるのではないかと思います。

日本の複雑性を理解するという話では、ルオフ先生が、「アメリカでは戦争中の宣伝のせいで、日本人は皆考え方が同じだと思っている。これを正すために日本の複雑性を理解して教えている」という話がありました。興味深い話ではありましたし、随分誤解されているのだなと思います。

あと「外来語キライですよ、聞き取りにくい」といったときの先生の話し方が微笑ましいと思いました。

皇室祭祀や国家神道に関しては、多少専門分野で勉強していたのもありますから、特に興味深く聞いていました。ルオフ先生とは微妙に見解が違うかなともおもったのですけど、道場のやり取りの中で、ルオフ先生のこれまでの本での記述とトーンがちょっと違った気もするからルオフ先生の中でも変化があるのかもしれませんね。

多様性を考えれば宮中祭祀は特定の宗教に加担することになるからあまり望ましく無いというトーンだったと思いますが、道場の議論の中では明確に反対ということを言っていたわけではありませんし。

ただ個人的にはイギリスは国教会があるわけですし、君主が特定の「宗教」の祭祀を行うことが問題は無いだろうと思っています。問題は特定の宗教を抑圧することでそれは憲法で縛った方が良いだろうと思っていますが。この辺りの議論は政教分離のあるべき姿と、現行憲法下での政教分離の話で議論の階層がちがいますしね。宮中祭祀に関しては理想を言えば憲法改正して政教分離違反の議論が出ない形にして欲しいものです。

「宗教」の定義にまつわる議論も、確かに難しいなと。もともとの「宗教」の原義である「religion」キリスト教文化圏、一神教文化圏の中から出てきた用語であるし、その後の宗教学の発展により、神道も「宗教」とする考え方が出てきますけども、それでも元は一神教文化圏で出る言葉であるから、神道を「宗教」としてしまうのは違和感があるという話はよくわかります。議論の遡上に乗せるためにやむなく「宗教」の定義の枠に乗せる必要があるから神道を「宗教」としているのだろうなと。議論によって定義が結構変わってしまうからいちいち確認する必要があるとおもいました。

 

実際のところ、自説を滔々と述べるだけ、人の話は聞かない、自分の考えを疑う気持ちが一切ない、議論がムダという人が多い中で(その典型が前々回の…いや、もう言うまい)、ルオフ先生の誠実な姿勢は本当に際立っていました。
『天皇論「日米激突」』(小学館新書)、まだ読んでない人はぜひ読んで、思考を深めてください!

トッキー

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