私は話すよりも書くことのほうがずっと好きな人間なので、
「ゴー宣道場」の募集のように、ある程度まで書いて、
「寸止め」するというブログがいつもすっごく難しい!
特に、作品を読んだあと、寸止めで書くのは困難を極める!
のめり込んでいろいろがっつり書いてしまう!
ブログ用に文章を一本書いたけど、書きすぎている!
これはもっと深めて、いつかライジングのほうに回そう…。
石川達三の『泥にまみれて』は、
現代人にとっては、どうしても誤読を誘うような言葉が、
終始散りばめられていると思う。
まず、いまの時代には合わない、
ひたすら耐え忍ぶ女性の生き方が描かれているし、
女性が政治に参加するなんてのも、ダメだという風に
考えがちだった時代の男性が、その時代の女性の姿を
観察してきたなかで生まれたものだ。
でも、実は、過去の時代の耐え忍ぶ女性というものを、
「耐え忍ぶ女性」という言葉以上に理解している人は
かなり少ないんじゃないかとも思う。
私は、言葉が丸ごとなぎ倒されたり踏みつぶされたり、
なにかのイデオロギーにのせられて暴力的に利用されたり
することに対して、とても警戒感を覚える。
フェミニズムの言説やポリコレの風潮にもそういう部分があるし、
男系男子真理教の人々が、女性皇族を平気でないがしろにする
感性にも同根のものがある。
「家族を大事に」「女性活躍」「3人以上生むべきだ」
こういった言葉に嫌悪感を覚えるのも、そこだ。
だから、前回の「ゴー宣道場」でケネス・ルオフ氏が
投げかけられたもの通して、
「伝統」「反省」「宗教」というものをもっと精細に、
誠実に分析してみなければならないと考えたし、
それと同様に「男尊女卑」「耐え忍ぶ女性」などの言葉に
ついても、一度真剣に封を切ってみる必要があると思った。
その作業をしながら、これからの日本社会をどう構築して
いくかを議論できるのは、「ゴー宣道場」だけだ。
九州ゴー宣道場、応募締め切りは本日まで。
ぜひ、奮ってご参加を!