昭和天皇が「戦争防止の困難だった一つの原因」とされた
国民の「付和雷同性」。あるテーマについて、皆が同じように反応する。
同じように反応しない者には強い「同調圧力」が掛かる。
或いは“圧力”を先回りして感じ取り、自ら進んで同じような
反応をしてみせる。更に、積極的に圧力を掛ける側に無意識のうちに回る。
それらの相乗作用によって、いわゆる「空気の支配」が生まれる。
それが「付和雷同性」の正体だろう。しかし、注意しなければなら
ないことがある。
それは一見、世間の大勢(たいせい)に真っ向から逆らっているかの
ような人々が存在する場合だ。
これらの人々こそ、付和雷同性を免れた立派な“お手本”のように見える
かも知れない。
しかし、実はそうではない可能性がある。
国民の多数から孤立した人々の“グループ内”のより強烈な同調圧力に
よって、外からはそのように見えているに過ぎない場合が、しばしば
あるからだ。その場合、これも又“もう一つ”の付和雷同と言わざるを得ない。
付和雷同性にはそうした重層構造がある事実に気づく必要がある。
そこに共通しているのは、“個人としての自覚”が希薄か、又は殆ど
喪われていることだ。昭和天皇が「教養」と「宗教心」の大切さを強調されたのも、
個人の自覚を支えるバックボーンとして、それらが有益であると
お考えだった為だろう。【高森明勅公式サイト】
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