全国戦没者追悼式での天皇陛下の「おことば」。
上皇陛下の「おことば」の多くの部分を踏襲されていた。
これは天皇という地位の継承性、上皇陛下のおことばの
完成度の高さから、当然だ。特に焦点となるのは「深い反省」。
これは、昭和天皇のお気持ちを上皇陛下が真摯(しんし)に受け継がれ、
率直(そっちょく)なご表現として(平成27年に)お加えになった
(「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」
という一節も平成7年から)。それを揺るぎなく引き継がれた事実はとても重い。
その上で注目したいのが、上皇陛下の時の
「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることが
ありません」という一節を、天皇陛下が次のように変更された事実だ。「多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものが
あります」これは「おことば」に対する陛下の誠実さを端的に示している。
上皇陛下は昭和8年のお生まれだ。
終戦の時には11歳でいらっしゃる。
当時の「苦難」をご自身で体験され、直接、見聞しておられる。
だからこそ「往時をしのぶ」という表現には現実味が伴う。
「感慨は今なお尽きることがありません」というのも、
「往時」との“距離感”を前提に、それでも「今なお」とのご実感が
籠められている。一方、天皇陛下は昭和35年のお生まれ。
終戦直後の苦難のどん底の時期は、ご自身の経験としてはご存じない。
にも拘らず、同じ表現をそのまま踏襲されては、言葉が形骸化してしまう。
だけでなく、上皇陛下のご表現まで、形式的なものだったと
勘違いされかねない。
そこで陛下のご体験、ご実感に即して「おことば」を改めておられる。
日本が(形式上の)独立を回復した後も、長く続いた「多くの苦難に
満ちた国民の歩み」は、陛下も歴史上の事実としても、
ご自身の同時代のご体験としても、よくご存じでいらっしゃる。
決して表面上だけのご表現ではない。と言うことは、逆に大きな変更が無かった部分は、
まさに今上陛下のご実感、お気持ちにしっかり裏付けられている
という事に他ならないだろう。「おことば」の誠実さを改めて銘記すべきだ。
なお終戦記念日当日、敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下は
赤坂御所にて黙祷を捧げられた。【高森明勅公式サイト】
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