和田信賢というアナウンサーを知っているだろうか。
多くの人は知らないだろう。
知らなくて当然かも知れない。
昭和20年8月15日、いわゆる「玉音(ぎょくおん)放送」
を担当した日本放送協会(NHK)の放送員(アナウンサー)だ。
放送の冒頭に「只今(ただいま)より重大なる放送があります。
全国の聴取者(ラジオなので視聴者ではない)の皆様、
御起立願います」という声が入る。
この声の主が和田アナウンサーだった。
放送ではその後に下村宏(海南)情報局総裁の
次の台詞(せりふ)が続く。「天皇陛下(昭和天皇)におかせられましては、
全国民に対し、畏(かしこ)くも御自(おんみずか)ら
大詔(たいしょう)を宣(のたま)せられ給(たま)う
事になりました。これより謹みて玉音をお送り申します」厳かな君が代の奏楽の後に、
レコード盤に録音された昭和天皇の「玉音」
(終戦の詔書を読み上げられたお声)が流れる。
再び君が代の奏楽。
下村総裁が「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」
と締め括った後、和田氏は以下のように解説した。
当時の多くの国民はこの解説によって詔書の真意を
知ったとも言われている。「かしこくも、天皇陛下におかせられましては、
万世(ばんせい)のために太平を開かんとおぼしめされ、
きのう政府をして、米英支ソ(アメリカ・イギリス・シナ・ソ連)
四国に対して、ポツダム宣言を受諾する旨(むね)、通告
せしめられました。
かしこくも天皇陛下におかせられましては、
同時に詔書(しょうしょ)をカン発(ぱつ)あらせられ、
帝国(日本)が4か国の共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する
のやむなきに至ったゆえんを御宣示(ごせんじ)あらせられ、
きょう正午、かしこき大御心(おおみこころ)より詔書を
ご放送あらせられました。
この未曾有(みぞう)のおん事は、
拝察するだにかしこききわみであり、一億ひとしく感泣いたしました。
われわれ臣民(しんみん)はただただ詔書の御旨(ぎょし)を
必謹(ひっきん)、誓って国体の護持と民族の名誉保持のため、
滅私の奉公を誓い奉(たてまつ)る次第でございます」今の日本人が聴くと随分古臭い言い回しに聞こえるかも知れない。
しかし、私が初めてこの解説を聴いた時、その声が実に毅然(きぜん)
として潔(いさぎよ)いのに驚いた。アナウンサーといえども1人の国民だ。
友人や親族の中には戦争で命を落とした人がいたかも知れない。
現に当日、放送協会の報道部にいた部員達も昭和天皇の玉音を
聴いて皆、唇を噛み締め鼻を啜って泣いていたという。
動揺、悲しみ、不安など、現代の我々が想像出来ない様々な
激しい感情が押し寄せていたに違いない。
しかし、そんな事は微塵も感じさせない。
落ち着き、冷静でいながら、強い意志を感じさせる読み方に、
心を打たれた。
当時の日本人の立派さをまざまざと眼前に見る思いだった。
このアナウンサーの名前を知ってから、頭の片隅に和田氏本人への
小さな興味が生まれていた。
だが、改めて調べたりしないままだった。ところが先日、ある古本屋でこの人の伝記を手に入れた。
山川静夫『或るアナウンサーの一生 評伝 和田信賢』(文春文庫)。
今は優先して読むべき本が山積み。
どこか隙間を見つけて読んでみたい。【高森明勅公式サイト】
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